忘却の彼方 3 



 

 行き付けの飯屋は、昼時と言う事もあって非常に繁盛していた。顔も知らない平隊士たちに混じって昼食をとる。この店は芋や海老のてんぷらがとても旨いので、二人はよくてんぷら定食をこのんで頼んだ。米も炊き立てなのか、つやつやと光っていて、一粒一粒が立っているのだ。噛めば噛むほど甘みも出る。みそ汁も旨いから、ひよ里も真子もこの店の飯を残したことは無い。

「ひよ里、これ食うか?」

「どないしてん、真子。これ嫌いやったか?」

真子が芋のてんぷらを差し出してきた。予想外の言葉に、ひよ里は目を丸めた。

「ちゃうねんけど、もう腹いっぱいになってもうてな」

「はぁ? もうか? いくらも食べてへんやんけ。此処来る前、腹空いたっていいよったやないか」

 そう言いながら、差し出されたいものてんぷらに手をつける。やはり旨い。

「腹、痛いんか? そんならもう帰ってええで。ウチが出しとくわ、飯代」

「ちゃうって。最近、お仕事忙しいてなァ。疲れがたまってん。後で肩もんだって、ひよ里」

 コキコキと首を鳴らしながら言われ、思わずひよ里の肩が跳ねあがる。

「なっ!なんでウチが!!」

「嘘やて。ほら、早う食いや」

 慌てたひよ里をみて、クツクツ苦笑いを浮かべながら食べる様に促す真子に、またからかわれたのかと少しムッとした。

 それにしても。

 惣右介は、忙しくないと確か言っていた。真子は嘘を言っているのだろうか? しかし、嘘をついてみたり、誤魔化したりする理由がよくわからない。ひよ里には、まるで何かを隠そうとしているみたいに思えて仕方なかった。

 でも、何を?

「…、ほんまか?」

「あ?」

「ほんまに疲れてるだけか?」

「……? そやで。どないしてん。心配してくれてんのか? めずらし。明日槍でも降ってきよるかもしれへんな」

 おどけたように肩をすくめ天井を見上げた。すぐにこうやって真子は茶化すから腹が立つ。何も言わずに睨んだままでいると、真子は困ったような顔をした。子どもをあやすように頭をポンポン撫でる。

「ほんまに、大丈夫やから。心配しなや」

「子ども扱いすな」

 頭に置かれた大きな手を乱暴に払いながら、恥ずかしさで顔を赤らめた。言いたい事は沢山あったはずなのに、すっかり消えてなくなっていた。

 
「あいつには、気ぃつけや」

 飯屋を後にし、隊舎に戻る道のりをのんびりと二人で歩きながら真子はいつになく真剣な面持ちで言った。ひよ里はまたか、と思いつつ「わかっとる」と返事をする。

 どうして真子はそこに拘るのだろう。この事に関してもひよ里は納得がいかなかった。自分で選んだ部下の事を副官の事を、信用していない。そればかりか、危険分子と言わんばかりの言い方だ。何度か、どうして気をつけなければいけないのかと問うた事もあったのだが、上手くはぐらかされたりして理由は結局わからないままだ。もしかしたら、真子自身の直感で言っているのかもしれない。そう思うようになってからは、その事に関しては突っ込んで聞く事はしなくなった。


 不意に空を見上げた。昼前に見た時よりも雲が厚く垂れこんでいて、今にも泣き出しそうな空模様だった。

「雨、降るかもしれんなァ」

 ポツリとつぶやいた。

「そやなァ」

 間の抜けたような表情で真子がそれに相槌をうった瞬間、場の空気が一瞬で変わる。スッと音も無く目の前に現れた惣右介に真子の眼光が鋭く光ったのをみたひよ里はゴクリと息をのんだ。

 普段、飄々と呆けた顔をしている真子だが、こういう時はさすがは隊長格だなと思う。

 惣右介は真子に耳元で何かを告げると、ひよ里の方を向いてニコリと微笑を浮かべる。その笑顔はお取り込み中すまないねと言っているようで、余計なお世話だと思いひよ里はそっぽをむいた。

「すぐ行く」と真子が短く答えると、惣右介は軽く会釈をして姿を消した。

「任務か?」

「ああ。任務っちゅーほどでも無いんやけど、取りあえず俺すぐ戻らなアカンなったわ。ひよ里一人で行けるか?」

「隊舎に戻るだけやし、心配すんな。早う戻ったり」

「すまんな。ひよ里」

「ええっちゅーねや。早う戻り」

 回し蹴りをしてやろうと瞬間に、真子も瞬歩で姿を消した。

 胸の中がなんだかザワザワして、また空を見上げる。

「……」

 ポツリと、空から雫が落ちて、ひよ里の頬に当たった。

「雨や……」

 それから間もなく、ザーッと音をたてて灰色の雲から沢山の雨粒が落ちてきた。