忘却の彼方 2 


数日前のことだった。

 

 瀞霊廷の街の中をカラコロと音をたて散歩する十二番隊・隊長の浦原喜助に付いて、その副官である猿柿ひよ里は後ろから付いて歩いていた。喜助の隣には、ひよ里の喧嘩仲間でもあり、五番隊の隊長を務める金髪の長髪おかっぱの平子真子が、ひよ里の隣には、その男の副官である藍染惣右介がいた。本来なら、これに十二番隊三席である涅マユリもいるのだが、「今手が離せないのだヨ」と喜助を軽くあしらい研究室にこもったまま出て来なかったので、ひよ里だけが付き添っていた。

 長身で隊長・副隊長で、しかも男前と評判の良い男が3人揃った状態で(真子に至っては『黙っていれば』という言葉がつくのだが)、一人女で身長の小さい時分は何か場違いのような気がしていた。かなり若くして副隊長に取り立てられたひよ里は同世代の同性の嫉妬の対象になりやすいらしく、今だって実際に、すれ違いざまに見知らぬ女に、「なにあのガキ」と舌打ちされた。そういうことにはいよいよ慣れてしまっているので、気にする事も無いのだが、さすがに面白いとは思わない。チッと舌打ちすると、隣で黙ったままでいた惣右介がクスリと喉を鳴らした。

 じろっと睨むと、おお怖いと言ったように「ごめん」と男は微笑む。

 よく隊長の散歩が重なる事があるので、ひよ里と惣右介は一緒に歩くのだが終始こういった感じで、特に話が弾むような事は何一つない。会話といえば、連絡事項などの業務連絡の会話をする程度だった。

 しかし、今日は違う。どうしても、惣右介に訊いておきたい事があったのだ。

「なァ、最近お前ンとこの隊、急がしいんか? 惣右介」

「いや。そこまででは無いよ」

「なら、ええけど。真子、なんや疲れてないか?」

「さぁ、そうかな? いつもと変わらないように見えるけど……」

 やはり、自分の気のせいか……。

 そう思いながらも、先ほどの自分といつものごとく挨拶がわりの取っ組み合いの喧嘩をした真子の様子を思い出す。確かに、いつもと変わらないのだ。

変わらないけど、何か、違和感がある。れに、今もだ。楽しげに喜助と談笑しているけれど、

……あ、ほら。また。

 一瞬だけ精気の無い瞳の色をする。あの、常に飄々と上手に立ち回り、手の内を明かさないような男が、一瞬でもそんな顔をしているのは、あまりみたことがない。

 うーん、と首を傾げた。

「猿柿クンは、よく気がつくんだね」

「はぁ?」

 惣右介の意味深な言い方に、方眉が釣り上がる。

「平子隊長だからかな?」

 惣右介の茶色の癖のある髪の毛が、風にユラユラと揺れた。

「どういう意味や」

 尋ねても、惣右介はニコリと微笑んだまま、それ以上は言わなかった。こういう食えない男はあまり好きではない。喜助に早く隊舎の方に戻ってほしいと思いつつも、もう少し真子の背中を見たいという乙女心と格闘していた。



 平子真子は後ろに居る副官二人の様子を横目で見ていた。普段会話をする事が少ない二人が珍しく喋っていたので少し驚いた。

 会話の内容は小声で話しているせいで聞き取れなかったが、すぐに話が終わったので大した話ではなかったのだろう。少しだけ安堵した。実を言うと、真子は惣右介とひよ里が一緒に居る事自体を良いとは思っていなかった。副隊長同士だし、こうやって喜助と瀞霊廷内を散歩をする事もあれば、一緒に居合わせてしまうのも仕方のない事なのだが、面白くない。それは少なからず、いや、多いに真子がひよ里に想いを寄せているせいでもあるのだが、理由はそれだけではなかった。

 常日頃から、惣右介の事を危ういと思っている。

 この男は何か危険な匂いがすると、本能が教えていた。だから真子は自分の隊の副官として迎え入れたのだ。『監視する』ために。手元に留め置けば、監視していると感じていれば、表立って動く事も無いだろう。

 問題は、陰で……なのだが。それでも、監視している人間が居る事がプレッシャーになり動きは鈍くなるはずだと読んでいた。ただ、数年前からその『監視対象者』がもう一人増えてしまい、あまり心休まる時が無い…というのが最近の真子の疲労の原因でもあった。いつ破裂するかわからない爆弾を2つ同時に抱えているのだ。無理からぬことでもあった。しかし、そのことは誰かに話すつもりは無い。

 自分の手元に迎え入れた時から、自分でカタをつけると決めていたのだ。


 雑談しながらぐるりと一周ほど瀞霊廷の中を散歩し終わった頃、ちょうど昼時になったらしく、昼休みになった隊士たちがわらわらと隊舎から出てくる。

「喜助、このあと昼飯、食いに行かんか?惣右介も、ひよ里も、どや?」

 腹減ったのォとボヤキながら真子は喜助や後の副隊長達を食事に誘うが、しかし、喜助からはつれない返事。
「あー、ボク、マユリさんの実験の様子を見に行きたいんスよー。また次回じゃダメっスかねぇ?」

 いつもの、ゆるい顔で笑いながら目の前で手を合わせてすみませーんと謝る喜助。

「んあ?そうか。しゃーないのぅ。まぁ、ええわ」

 そんなに実験とか研究というものが面白いのかと呆れつつ、まだ答えてない二人の方へと目線を送ると、その視線に気がついた惣右介も言葉を申し訳な下げに言葉を濁した。

「隊長、ボクも、この後用がありまして……」

 大方、市丸ギンという子どもながら席官の座を与えられた少年と食事の約束をしているのだろう。惣右介は彼に目を掛けてやっているので、不思議ではない。他にも理由はあるのだろうが、今は昼間。この二人が一緒に居たからといってそこまで警戒をする必要はないだろう。

「ギンか? ほんなら行ってええで、惣右介」

 右の手をヒラヒラと振り、早く行けと合図を送る。

「はい」

 では、失礼します。とそのままその場から惣右介は去って行った。

 一息ついてから、チラリと視線をひよ里に移す。

「ひよ里も、忙しいんか?」

 この子にまで断られると、誘った自分が可哀相になってくるので出来れば断られないことを祈る。それを察したのかなんなのかフンと顎をしゃくらせてからひよ里は言った。

「・・・・別に。真子がウチに奢りたァてしゃーないみたいやから、付きおうたる」

 小さいくせに腕組みして踏ん反り返り、これでもかと威張ったように真子を見上げるひよ里の姿に少し呆れる。どうしてこいつは、素直に「食べる」と言わないのか。一筋縄でいかないところがこの女の子の面白いところではあるのだが。

「そない可愛いない言い方しよると、奢ったらへんど」

 髪の間から覗いたおでこを小突きながらそう言うと、ひよ里は「なんやと!!」と真っ赤になって怒る。真子はひよ里をからかうのがとても楽しい。時々、からかい過ぎてはひよ里から不興を買い、顔面に飛び蹴りをくらったり、ひっかかれたり、髪の毛を引っ張られたり、あまつさえ誰に教えてもらったのか知らないがカンチョーと言う卑劣な技も駆使してくるが、その他愛も無い時間が何より好きだった。次は、何を言うのだろうか? 何をしてくるのだろうか? そう思い飽きないのだ。

 大きな瞳が真子を覗きこむ。

「ほんなら、ウチが殊勝に『えっ。ホンマですか? 平子隊長、嬉しいです。おおきに。ありがとうございます』って目を輝かせて言ってんの想像してみ」

 ひよ里は指差しながら想像するように促すと、少しの間真子は上の方を見上げてひと思案した。

「……。あかん。気持ち悪すぎる」

 うっと口元を押さえ、よろけながら気味悪がった。

「……、そうやろ? でも、なんか腹立つな」

 自虐的にいいながらも、ムッとしたひよ里は片足でガシっと真子の尻を蹴り飛ばす。軽く蹴ったつもりが力がしっかりと入ったようで、蹴り飛ばされた拍子に「のわっっ!!」と叫び声を上げながら建物の壁に顔から衝突し、そのまま崩れ落ちる。その様は隊長格にしてはかなり格好の悪いものだった。まだその場にいた喜助はうわぁと目に手を当て、横目でひよ里を見ながら真子に同情の眼差しを向ける。

「人のケツを蹴るな言うてるやろ、ひよ里! 隊長を足蹴にしてええ思ってんのか」

 痛みによろけ、呻きながらも真っ赤になった顔を上げ、ひよ里に食ってかかるも、

「真子と喜助に限ってええ思てるっ!!」

 さも当然だろうと言い放つ。

「え! なんでですか! ひよ里サン!!!」

 二人のやり取りに傍観者を決め込んでいた喜助は慌てる。この二人の口喧嘩に巻き込まれて良い思いをした事なんて一度も無いのでなおさらだ。いきなり話を振られ、当惑している喜助を呆れた目をして睨みつけながら

「お前は、ケツ叩かんとなーんもせぇへんやろが。あ、わかってんか? 今日までやからなあの書類。ちゃんと目ぇ通して判子押しや」と副隊長らしい事をびしりと言う。

 うっかり忘れていた事を指摘され、「あ……あはははー」苦笑いをして誤魔化す。それからほんの少しだけ後ずさりをした後にそれじゃぁーとそそくさとその場から喜助は逃げ出すようにっ去っ行った。

 残された真子と、ひよ里。

「ちょお待て、喜助はわかった。しゃーけど俺はどつかれる覚えがない」

 納得のいかない顔をして、ひよ里に聞くと、そんな真子の顔をまるで阿呆を見るかのようにみながら

「お前の場合は、あれや。運命や。こればっかりはしゃーない」

 あきらめやと、八重歯を覗かせて笑ってやると

「なんやとー!」

 本気で真子が怒る。そんないつも通りのやり取りをしながら、二人の行き付けの飯屋の方へと歩いて行った。