彼と彼女と私と髪留め 3

 



真子は、演習中に現れた虚から尸魂界の住人を庇って深手を負ったという。

力のないものを庇いながら戦闘することは意外と大変で、斬魄刀の能力によっては関係の無い者まで巻き込む可能性があるから、おいそれと開放もできない場合もある。状況によっては隊長格だってどうなるかわからない。

 だけど、ありえないことだった。

『演習中』に『虚』から『尸魂界の住人を庇う』こと自体がまず異常なのだ。

 普通、安全を考慮して虚ができるだけ現れにくい場所を演習地として選定する。さらに尸魂界の住人を巻き込むこまないように簡単にでも結界を張り、近寄らせないようにするはずなのだ。そして演習中の事故や、突発的な有事の際に怪我人が出る場合も考えて四番隊隊士を数人、救護班として必ず随伴させる。今回は特に死神になって間もない者の方が多かったのだから、拳西と真子が最大限の安全を考慮しないはずがない。
 それなのにどうして、こんなにも怪我人が出て、真子はその場で止血もされなかったのか。

 虚の出現率も低く安全だからと何度も演習で使っていた場所で虚が現れたのだ、と拳西は言う。
 しかも一体どころか十数体同時に。
 何故かはわからなかったが、それでも演習の延長として対応できていた。始解を習得している隊士は多数いたし、真子・拳西以外の上位席官も二名いた。最悪、自分たちが、始解ないしは卍解すれば十分倒しきれるはずだった。

 しかし、さらにおかしいことは続いた。

「普通ならそこに子どもがいること自体、ありえねぇからな。油断をしていたと言えば、そうかもしれねぇが」

結界を張って近づけないようにしていたはずなのに、尸魂界の子どもが迷い込んでいたらしい。そこに大虚まで現れ、それが子どもの方へと襲い掛かる。真子も拳西も別の虚と応戦中で、事態は困難を極めた。
 先に敵をかわすことができた真子が助けに行ったが、鬼道も、斬魄刀での防御も間に合わず、身を呈して庇うことになってしまった。

真子は虚から子どもを無傷で助けることに成功した。が、肩から腹部にかけて相当深く切られすでに大量に出血していた。非常に危険な状態だった。霊力が高いおかげで意識を保つことが出来ているが、後方支援中の救護班による治療が必要だった。それなのに、救護班全員が重傷を負っていた。
 
多くの者が大なり小なり傷を負いながら虚を殲滅したにも拘らず、その場で彼らに治療を施せるものは事実上、誰一人としていなかったのだ。

幸いなことに重傷者は全員一命を取り留め大事に至ることは無かったが、まるで示し合わせたかのような気味の悪い出来事に、拳西の表情は硬いままだった。




 今日の夜がヤマだと聞かされて、まる二日が経った。

一時ざわついていた瀞霊廷内も、日付が変わる頃には落ち着きを取り戻していた。怪我人の出た五番隊、九番隊はまだ慌ただしくしているけど、じきに落ち着くと思う。

今回の演習に随伴して重傷を負った隊士たちも、早々に軽傷者の部屋へと移ったようで、重傷でいまだに意識が戻らないのは、真子だけだった。卯ノ花サンは、命の危機は回避されたと言っているが、真子が目を覚ます気配はない。それでも、日に日に顔色がよくなっていることだけはわかってうちは安堵した。

 間島は見舞いには来ていないようだ。何度か仕事の合間を縫って真子の様子を覗きに行っていたが、彼女を見かけたことは一度も見かけていない。

それだけ今、五番隊は大変なのだろう。

九番隊と違って、隊長が不在の五番隊は、副隊長の藍染惣右助が隊長代行として隊を纏めている状態。演習中から代行を務めていたはずの彼でも、常時と異なる状況下では隊士全員を纏めるのも一朝一夕ではできない仕事なのだろう。彼を補佐するはずの第三席も、中央霊術院を1年で卒業した天才児らしいが死神として護廷に配属されてまだ2年。まだまだ新米で、子どもだし、隊長代行を補佐するには不十分だと思う。それに三席は件の演習に参加して、怪我をしたらしい。こんな状況では間島が真子の見舞いに来れなくても仕方ないのかもしれない。





夜になってようやく仕事が片付き真子が寝ている救護室へ行くと、うちよりも先にリサと白がいた。二人は入り口の前で立ち止まったままのうちを見つけるとハモるように名前を呼んで手招きをしてくれた。

実はまだ白にきちんと謝れていない。一昨日はそれどころでは無かったし、そのあとも白の方が忙しく、今の今まで会うことが無かったから。

二人のそばまで行ってもなんとなく決まり悪るくて、うちは顔を背けたままでいた。

恐らくだいたいのことを把握していると思うけど、リサは知らん顔をして特に何も言わない。子どもじゃないんだから自分で解決しろ、ということなのだろう。いや、本当にその通りなのだけど。
 謝るということが苦手なうちは、どう声をかければいいかわからない。世間話をするように言えばいいのか、しょっぱなから謝るべきなのか。

言葉に迷って黙ったままでいると、白がいつもの調子でしゃべりかけてきた。

「シンズィ、なっかなか目ぇ覚まさないね。寝不足ちゃんだったのかな。ね、ひよりん」

「……うん……」

 真子の顔を覗き込んで唇を尖らせる。拍子抜けするほどいつも通りの白に、うちは顔が引き攣ったまま相槌を打った。それにふふっと笑うと、白は小さめの箱をどこからともなく取り出して、

「じゃじゃーん。拳西に内緒で隊主室からもらってきちゃった」

 と中身を見せるように箱を開けた。中には透明な包装紙に包まれた饅頭が縦に五つずつ2列に並んで入っていた。

「おいしそうでしょう?」

 悪びれたようすもなく、むしろ得意気な白にリサは呆れる。

「あんた拳西にバレたらまた怒られるんやないの?」

「いいんだってー。拳西甘いの食べないしぃ。ほい、りさりん」

「そうやってうちらを共犯者にしようとしてるやろ」

「違うってー。ここのおまんじゅうおいしいって有名なんだもん。食べたくなるのが人の性じゃん。あ、こっちひよりんね」

 言いながら饅頭をリサとうちに手渡し、自身もそれを手にもつと早速食べ始めた。リサもなんだかんだ言いつつ、本を読みながら渡された饅頭を食べ始める。

「へぇ、おいしいやないの」

「でっしょー?」

二人のやり取りを見てぼんやりしているうちに気が付いた白が「食べないの? おいしいよ?」と笑いかけてくる。
 うちはそれに曖昧に頷きながら、
白にちゃんと謝らないと、と考えていた。

 それから「ありがとう」も言わないといけない。白が無理やりにでも引っ張って連れて行ってくれたから、今うちはここに居ることができるのだと思う。もし来ていなかったら、今頃自室でひとり、腐っていたはずだ。

 うちは意を決すると思い切って白の名を呼んだ。白は「うん?」と、手についたまんじゅうの皮っぽいものを舌で舐めとりながら返事をする。

「……あの、」

 一生懸命言葉を選ぶが、結局上手な謝り方なんてわからず、

「……ごめん」

ありきたりな言葉を使った。

消えそうなほど小さな声になってしまったけれど白にはちゃんと聞こえたようで。

「いいよぉ。ひよりん。あたしは気にしてないよん」

 大丈夫、大丈夫。と笑顔を向けてくれた。緊張の糸が切れてほっと胸をなでおろしたうちに、だけどね、と白は言葉を付け加える。

「あの七席の子と、シンズィが目を覚ましたらちゃんと謝んないとだめだよ。さすがにあれはひよりんが悪すぎだったし」

「うん」

「ヤキモチ焼いてたんだよね? ひよりん」
 にんまりと笑う白にうちは慌てた。
 急に何を言い出すんだ。

「ちがっ……!」

「違わないよぉ。ここんとこひよりんがシンズィ避けてたのってそのせいじゃん?」

 否定しようにも図星過ぎて返す言葉もない。しぶしぶ頷くと、リサと白は珍しく素直じゃんと満足そうに顔を見合わせる。

「仲直りの印にいいこと教えてあげようか、ひよりん」

「ええこと?」

 白はこっくりと頷いて、横に居るリサは、目を細める。どうやら『いいこと』はリサも知ってるようだ。

「あのね、ひよりんはたぶんいろいろ誤解してるんだよ」

「誤解?」

 うんうん。

「うちが真子に?」

 うんうん。
 白は首を縦に振りながら、あと間島っちのこともと補足する。

 いったいうちは何を誤解しているというのだろう。
 白に尋ねると、

「それは、教えないー」

ぷいっとそっぽを向いた。

「何でっ! ええこと教えるって、さっき……」

「いいこと教えるのはここまででした。後は、知りたかったら、きちんと二人に謝ること。そうすれば自然と誤解も解けると思うよん」

 なんやそれ!

「ケチや!」

「ケチじゃないよーん。八つ当たりの仕返しだもーん」

「ちょ! あんたやっぱり怒ってるんやろ!!」

 べーっと舌を出して意地悪な顔をする白に声を大きくしてしまったところで、「お静かにお願いします」と定期的に見回りに来る隊士に窘められた。白とうちは顔を見合わせて二人して肩を竦めると、お互いに注意されてやんのとぷっと吹きだした。
 それから怒られたのはどっちが悪かったのかで一通り揉めて笑い合ったあと、うちは白からもらった饅頭を一口食べた。

「うま、これ」

「でっしょー?」

 まるで自分の手柄のように胸を張った白は、もっと食べようよと箱の中の饅頭を取り出してまた食べ始める。リサは相変わず小説を読んだまま、特に何も言わない。

 気が付けばいつも通りのうちらに戻ることができていた。

 真子ともこんなふうに元のような仲に戻れるだろうか。

 最低なことを言ってしまったし、してしまったのだから、もし許してもらえても、元のようには戻れないかもしれない。

 だけどちゃんと謝ろうと思った。

 これ以上最低なヤツになりたくないから。






リサと白はまだ隊務が残っているからと先に隊舎へと戻り、自分一人だけが真子のそばに残っていた。賑やかな白が(リサは静か)帰ってしまったせいで、真子の寝ている部屋はすっかり静かになった。

窓からは生ぬるい風と一緒に虫の鳴き声が聞こえてくる。少しすればまた見回りの四番隊の隊士が現れるだろう。あとちょっとだけ真子のそばに居て、見回りが来る前に帰ろうと思っていた、丁度そんな時だった。

「猿柿副隊長」

 聞き覚えのある声が後ろからうちを呼んだ。振り返ると、よく知った顔の女が申し訳なさそうに出入り口のところで立っていた。

「間島か」

「はい、……あの、」

何か言いたそうに口を動かしているが言葉になっていない。どうしたらいいのかわからず戸惑っているように見えた。

つい、彼女の髪留めの方へと視線を遣れば、この間のモノとは違うものになっている。当たり前だろう。うちがあんなことを言ったのだからつけにくいに決まっている。罪悪感で胸が痛んだ。

「真子の見舞いに来たんやろ? そんなとこつっ立っとらんと、こっち来てここ座り。うち、もう出ていくし」

 腰を掛けていた椅子から立ち上がり、この椅子に座るように間島に促す。

「いえ。……あの、出来ればご一緒させていただくわけにはいきませんか?」

 うちが頷くと、間島は安心したように強張っていた顔を緩め、部屋の隅に置いてあった木の椅子を持ってくると、横に置いてそっと座った。頷いてしまった手前、うちはそのまま立ち去ることができなくなってしまって、中途半端に上げた腰を下ろした。

 端正な顔が眉根を寄せて心配そうに真子を見ている。

「まだ、目を覚まされないんですね」

と言うと間島の大きな瞳をこちらに向けた。

「……そうやな」

「卯ノ花隊長はいつ目を覚まされてもおかしくないとおっしゃっていらしたんですが」

「……」

「演習前もずっとお忙しくされていましたし、もしかしたらお疲れもあったのかもしれませんね」

「そう、か」

 白と同じことを言う間島にとりあえず相槌を打って答えると、それ以上会話が続かず、気まずさからお互い視線を真子の方へ向けた。

 せっかく隣に間島がいるのだからこの間のことも、すまなかったと謝ればいいのに、なんだかそわそわとして落ち着かず、それができない。うちはまた逃げ出したくなっていた。

暫く無言が続く。
 重苦しい空気を破ったのは間島だった。

「猿柿副隊長」

「なに?」

 急に呼ばれ、思わず声が上擦った。動揺を隠すように間島を見上げると彼女は眉尻を下げて困ったような顔をして言った。

「お話ししたいことがあるんですが、この後お時間、少しよろしいですか?」

 そこまでお時間取らせませんから。



 

 四番隊舎と真子が寝ている救護室をつなぐ渡り廊下の端に間島と二人で腰を掛けて座った。彼女が四番隊舎の給湯室で淹れてきてくれたお茶を一口飲んでから、せめて自分から謝らなくてはという、なけなしの副隊長としてのプライドをかき集めて間島が話し出す前に切り出した。

「堪忍してや」

「え? 何をですか?」

間島は「わたし何を謝られているの?」と疑問符をくっつけたような顔をして小首を傾げる。

(あれ?)

 まさか忘れたのだろうか? 

予想していなかった返しに少し拍子抜けしつつ、この間のことを説明すると、

「ああ! あれですか? すっかり忘れてました」

 思い出したように軽く手を打って答えた。

どうやら本当に忘れていたようだ。

謝らないと、と気を張っていた自分が妙に馬鹿らしく思えてくる。いや、今五番隊はバタついているし、忘れていても仕方ないのだけど。

うちは気を取り直してもう一度深く頭を下げた。

「ほんま、ごめんな。真子の言うとおりや。副隊長の自分がする態度やなかった。謝って済むとは思うてへんけど。この通り、堪忍してや」

「あああああ! 副隊長。やめてください。本当に! わたしなんとも思ってないですし。それよりも、わたしの方が猿柿副隊長に謝らなくっちゃいけないんですよ。だから頭をあげてください。お願いです!」

 手をぶんぶん振って慌てる間島に、うちは眉を寄せる。

「なんであんたがうちにあやまんねん?」

 意味がわからず間島を見ると、彼女はコホンと咳払いしてうちの瞳をしっかりと見据えて言った。

「今度わたし、結婚するんです」


「――は? 結婚?」

 間島はこっくりと頷く。

 ――――、

 ――――……、

 ――――――…………。


「あの、副隊長……?」

「ちょ、ちょう待って。頭ん中整理するよって……」

 固まってしまって動かないうちを心配してか、わざわざ呼びかけてくれた間島を黙らせて、働かない頭をフル回転させる。

 間島が結婚する――ということは、やっぱり相手は真子……なのだろうか?

彼女らは付き合い始めたばかりだと勝手に思い込んでいたけど、二人はそこまでの仲だったのか。

(……ダメージでかすぎるわ、ボケ)

 あまりのことに眩暈がしてよろけると、うちは手に持っていた湯呑を落としてお茶を袴の上に盛大に撒いた。

「あっつぅぅぅぅ!!!」

「うわ! 大丈夫ですか!?」

大丈夫だけど、大丈夫じゃない。熱い。
 ギャーギャー騒ぎながら立ち上がって、熱いお茶で濡れた袴を肌から離すように掴んで冷ますようにバサバサ振った。

普段はこんなおっちょこちょいではないのに何をやってるんだろうと、自己嫌悪に陥ってしまう。ひとつも動かないうちの代わりに、間島は給湯室から持ってきた手拭きを使って、濡れた床や、死覇装を拭いてくれたり、代わりのお茶を淹れてくれたりと、テキパキ動いてくれた。

 落ち込みながらも感謝する。
「おおきにな、間島」

「いいえ、それより火傷、されてませんか?」

「火傷?」

「ちょっと失礼します」

「!?」

 間島は袴の裾の部分から大胆に手を入れてきた。うちはぎょとして慌ててその手を掴む。

「ハゲか! ちょう待ち。いきなりなんやねん!」

「ダメです! 痕になったらどうするんですか!」

 ピシャリと言い放ち問答無用で袴を太ももの中程までめくり上げると、間島は露わになった太腿を見るなり顔を曇らせる。
「赤くなってますよ。火傷されてるじゃないですか」

「大丈夫やし」

痛くもないし、たとえ痕になっても四番隊の誰かにお願いして治療を施してもらうか、技局の誰かから火傷に効く薬を貰えば何とかなりそうだとも思ったのだが、「いいえ、冷やさなければいけません」と怖い顔をする間島に、うちはヘビに睨まれた蛙のように小さくなってしまい、何も言えなかった。

「少しひんやりしますよ」

 間島は給湯室から持ってきた冷水で濡らした手拭きを患部に当てて冷やし始める。熱を持った部分が冷たくて気持ちがいい。

「痕にはならないと思いますけど」

「せやから大丈夫やって……」

「……猿柿副隊長」

「……うっ」

 強情に大丈夫だと言い張るうちに、間島は呆れの混じった声で窘めるように言う。

これではどちらの席次が上なのかわからない。

(ほんま、何やってんねん、うちは)

 情けなくて眦に涙が滲んだ。


さっきまでの慌ただしさが嘘のように鎮まり、肌の上を滑っていく夜風が木の葉を揺らす音が聞こえるだけになった。

お世辞にも心地いい時間とは言い難い。

 落ち着いてしまうと、思い出すのは間島が言った『結婚』のこと。

うちは何も知らなかった。

「自分ら、結婚するんか?」

本来ならおめでとうと言うところなのに、やめればいいのに信じたくない気持が勝って、つい確認をしてしまう。

結婚の約束までしている仲なら、噂になるもっと前から付き合いがあったはずだ。それなら、何か一言でも言ってくれればいいのに。

せめて聞くなら間島からではなく、真子から聞きたかった。

「あの、猿柿隊長」

 手拭きを裏返しながら、黙って俯くうちを気遣わしげに覗き込む間島。

ああ、ちゃんと祝福をしなければ。彼女は悪い子じゃない。むしろ真子にはもったいないくらいの器量よしのベッピンさんや。

「猿柿隊長、なにか誤解されてませんか?」

 そういえば白やリサもうちは誤解してるとか言ってたな。誤解も何も、二人とも順調で結婚の約束までしとるやないか。二人してうちをはめよってからに。

「なんも誤解なんぞしてへん。そやな、おめでとう。ちゃんと幸せにならなあかんで。もし、あいつに浮気されたときはうちに言い。カンチョーくらわせたるから」

 平静さを装って捲くし立てるうちに、間島は眉間に中指を当てて難しい顔をする。

「えっと、待ってください。『あいつ』とは、平子隊長のことをおっしゃっているんですか?」

「真子以外に誰がおんねん」

「やっぱり! 違いますよ! 全然違います!」

 強めの口調で否定する。

今更何が違うというのだろうか。言っていることがイマイチ理解できない。

 だって、間島は、

「真子と結婚するんじゃ」

「しません!! 全然違う人です!!!!」

 うちが言い終わる前にものすごい勢いで言葉を遮った。ここまで全力で否定するとは。
 
驚いて肩を竦めるうちを見て、間島はハッと我に返る。

「あ。す、すみません」

「いや、ええけど……」

 気まずさにお互い一度押し黙ったのち、間島は仕切り直すように話し始めた。

「猿柿副隊長が、そう思われたのって、あの噂のせいなんですよね」
「そやけど、違うんか?」

 あの噂とは、真子とのことを指しているんだろう。
「はい。平子隊長とはそういう仲ではないんです」
「……」
 間島は改めて否定した。

「わたし、自分のことでいっぱいいっぱいで、そんな噂が流れているなんて全く知らなくて……先日、久南副隊長にそれを聞いわたし、びっくりしました」

「白に?」

「合同演習の打ち合わせの前に聞かされました」

「ああ……」

 なるほど。たぶんうちの乱暴な物言いに、白なりにフォローを入れるためにその噂話を話したんだろう。

「わたしの付き合っている方……、婚約者は、有栖川家の人間なんです」

「そうなんか」

「ええ……、」

 間島は語尾を濁し、曖昧に頷く。

 有栖川家といえば、四楓院家・朽木家という四大貴族のその下。八番隊の京楽隊長と同じ上流階級の貴族だ。その家からは死神になるものはどちらかというと少なく、死神よりも商いの方を優先する家柄だったりする。

「私、尸魂界出身なんですね。貴族の方は血筋を気にされる方が多いので、本来なら絶対にありえないんですけど。……やっと本家の方々に認めてもらえたんです」

 もういいかなと、間島はうちの脚を冷やすことをやめて、めくった袴の裾をおろし手拭きを丁寧に畳むと脇へと置いた。

濡れた袴が腿に当たって少し気持ち悪かったが、我慢できないものでもない。うちがおおきにと小さい声で礼を言うと、間島は気にされないでくださいと少し笑ってから話を続ける。

「認めてもらえたのは良かったんですけど、彼は結婚したら、死神をやめて家に入れって言ってて。でもわたし、死神をやめるのは絶対に嫌で」

 確かにここでやめてしまうのは勿体無いと思う。彼女の能力や実力はわからないけれど、頑張ればまだ上を目指すことだってできるはずだ。

「そのことを最初は藍染副隊長に相談していたんですが、いつの間にか話が隊長のほうまでいってしまって、それで」

「……、そうか」

 そのあとの真子の行動は手に取るようにわかった。
 間島が結婚した後も死神を続けたい意向を汲んで、真子は隊務が終わった後に有栖川に一緒に頭を下げに行ったんだろう。一度では納得してもらえないはずだから、何度も通って、たくさん頭を下げて。隊長として彼女がどれだけ志の高い死神で、優秀な人材なのかを理解を得られるように一生懸命説明して。大変なはずなのに、苦とも思わないで。間島が気落ちしていれば、話を聞いて、励まして、心を砕いたんだと思う。なんでもないって顔をして。

真子がそんなこと何一つとして話さなかったのは、きっと死神を続けたい彼女を思いやってのことだろう。結婚すればわかってしまうことだけれど、死神を続けれるか無理なのか微妙状態の時にそんなことが出回れば面白おかしく吹聴されるに決まっている。それがわかっているから何も言わなかったんだ。

あんまりにも真子らしい行動で、笑えてきた。

(アホやな、うち)

 知らなかったとはいえ、噂に踊らされて、勝手に思い込んで、勝手に嫉妬して。ほんと、どうしようもない。

 自分の顔を両手でバチバチ叩いて気合を入れなおす。

「猿柿副隊長!? 何してるんですかやめてください!」

 驚いた間島は、慌ててうちの手を掴んで止めようとする。その手を逆につかみ返し、

「ちょう、ジブン、うちのこと引っ叩きぃ!」

「へっ!? むむむ、無理です! 何言ってんですか!!」

 ぶんぶん首を横に振って嫌がる間島の手を使って、無理やりベチベチと自分の頬を叩くと、彼女は「ひゃわわわぁぁ」と気の抜けた声を出して崩れた。

「……なんちゅう声を出すねん」

「さ、触ってしまった。ど、どうしよう」

 崩れたまま、頬を叩いた自らの両手を見て恍惚とした表情を浮かべる間島。そんなに変なことをしてしまったのだろうかと不安に思っていると、今度は「わたし、この手、しばらく洗えません!」と言い出した。

「実は、猿柿副隊長はわたしの憧れなんです。だからこの手、洗えないッ!」
「へ?」

 目が点になった。そんなことを言われたことは初めてだったから。

 あっけにとられたままのうちを余所に、間島は積年の思いを告げるように一気に喋りはじめた。

「最初は、零番隊に昇格された曳舟隊長に憧れていて、十二番隊に移動願いをいつか出そうと思っていたぐらいなんです。でもまだその時は、平子隊長のもとでまだまだ学ぶべきものもあって。そうこうしていると、曳舟隊長はさらに上にあがられてしまうし、浦原隊長が就任されてからは隊風もすっかり変わってしまったし。正直、がっかりしてたんです。十二番隊には」

 一息つくと自分用に淹れたお茶を飲み干してから、さらに続けた。

「技術開発局が創設された当初、十二番隊ごたごたしていたじゃないですか。数十名単位で異動願いを隊士たちが出してきたって噂で持ちきりだったんですよ。ご存知でしたか?」

 そういえば、そんなこともあった。今はすっかり落ち着いて、そんなこともう忘れていたけれど。

「わたし、見たんです。ちょうど十二番隊に届け物があって、その時に。猿柿副隊長、手にいっぱい紙を持っていたから、たぶん隊士たちが異動願いを出したところだと思うんですよね。とんでもない所に居合わせちゃったなって思っちゃって。わたし」

 まさか内輪揉めしているところを見られていたとは。

「で、興味あって。どうするのかなって。そしたら猿柿副隊長、ご自分よりも下位の隊士たちに必死に頭を下げるんです。頼むからって。もう少しだけ待ってくれって。一度だけでいいから、浦原隊長を信じてほしいって。何度も何度も頭下げて。わたし、すごいなって思いました」

「変なとこ見られてたんやなぁ……」

 恥ずかしいなと思いながらしみじみと呟く。

「すみません。わたし、偉そうに、すごいとか」

「いや、ええねん」

 間島は控えめに笑う。

「人の為にあんなふうに必死になって頭を下げられてる猿柿副隊長を見て、わたしもこんなふうになりたいって思ったんです。だから猿柿副隊長は私の憧れなんですよ」

 うちは照れて下を向いた。うちはこんな性格だし、誰かを憧れたことはあっても、誰かから憧れだと思ってもらえることは今まで無かった。こんなにこそばゆい気持ちは初めてだった。

 だけど。

「幻滅したやろ? うち、あんなひどいこと言うたし」

 自嘲するうちに、間島は、「そんなことありません」と断言する。

「あれはわたしがいけないんです」

そんなわけないだろう。どう考えてもうちが悪い。

「あの日わたしがつけていた髪留めですね。平子隊長が色違いの方を猿柿副隊長に渡すことを知ってて、隊長に内緒で自分用に自分で買ったんです」
「そ、そうなん?」

 右手を髪留めの方へ持っていきながら、気まずそうに頷く。

「猿柿副隊長と色違いの髪留めを付けれるかもしれないと思って、わたし勝手に舞い上がっちゃって。き、気持ち悪いですよね。すみません」

 今度は間島の方が申し訳なさそうに頭を下げた。確かに驚いたけど、それよりも白の言う通り、うちはとんでもない誤解をしていたようだ。

「うちはてっきり……、」

 真子が間島へと買った、そのおこぼれをうちにくれたのだと思っていた。

「違うんです。本当に。平子隊長が買ったのは猿柿副隊長に渡したあの髪留めだけなんです」

「そう、やったんや」

噛みしめるように言ったうちをみて、誤解を解いて肩の荷が下りたのか、間島は顔を緩めて安堵する。
 うちは事実を知って嬉しいような、ますます申し訳ないような、複雑な気持ちになった。



  


☆様からのリクエスト小説
またしても長くなってすみません! 2012.06.30