彼と彼女と私と髪留め 2

 


あの日以降も真子と間島の目撃情報は後を絶つことはなかった。

仕事終わり、割と遅い時間に間島七席と真子が食事をしているところや、二人でどこかで出かけているのを仲間の誰かが見かけていた。

もちろん自分もみた。仲睦まじく談笑しながら二人がどこかへ行くのを。

声をかけることはできなかった。悪いことなんてしてないのに、わざと霊圧を消して悟られないようにして二人を遠目で見ていた。

どこへ行くのかは知らない。

否、知りたくもなかった。

二人で、どこで、何をしているかなんて。



そんなこともあって、うちは、意図的に真子を避けるようになった。隊主会の前にあっても、同じ副隊長のリサや白の後ろにいるようにしてできるだけ真子と顔を合わせないように、関わらないようにした。

五番隊に書類を届ける用事があるときは四席やその他の隊士(三席に何かお願いするのだけは死んでも厭だ)、または隊長の喜助(時々外に出さないとこいつは研究ばかりだから)に無理やり押し付けて、できるだけ五番隊舎には行かないようにした。

喜助のお伴で真子に出くわしてしまったときは、あいつが連れている同じ副隊長の藍染惣右助となるべく多く会話するようにした。惣右助と喋るなんて定例会議や宴会の時に軽く会話するくらい。問答をするような口調が少し苦手で世間話なんて滅多にしないのだが、今、真子と喋るよりはましだった。珍しいと思ったのか惣右助は、「隊長と喧嘩でもしたのかな? それだといつもか」涼しい顔で問うてきたけれど、無視した。

避け方があからさま過ぎたのもあって真子が物言いたげにこちらを伺うように見ていたこともあったけど、結局何も言われることはなかった。

よかったと思う反面、自分たちの中はその程度なのか、と寂しくも思った。

本音を言えば、真子に聞いてみたかった。

「あの七席と、どういう関係や?」――と、問いただして、1・2発くらいはぶっ飛ばしてやりたい。本当に間島とそういう仲なのなら、どうして自分に言ってくれないんだ。水臭いじゃないか、うちらはその程度の仲だったのか、――そう言ってやりたかった。

あいつを避けておきながら都合のいい考えだとは自分でも思うけど、真子に良い人ができた時はきっと彼から言ってくれるだろうと、どこかで確信していたから。うち自身はそういう対象に見られることは無くても、喧嘩はしても一番の(とまではいかなくても)親友くらいには思ってくれていると信じていたから。だけど、そう思っているのはうちだけだったのだろう。

だからといって真子に間島と付き合っていると告げられて「おめでとう」といえる自信も、全くなかったけれど。


気が付けばまともに口をきかなくなって3週間以上が過ぎていた。

こんなことは初めてだった。長期任務にでもついていない限り一週間と口をきかない日なんて無かったのに。自分と真子との距離は随分とあいてしまったのだなと感じる。

 副隊長をやっていれば、席官クラスの死神たちよりも他隊の隊長と接する機会が多い。ただそれだけのことなのだから、最低限にしか関わらないようにしていれば、距離が出来てしまうのも当たり前といえば、当たり前のことだった。



清々しいほどの青空の下。リサが休みでいないため、白と二人で昼休憩を過ごしたその帰り道。「聞いてよ、ひよりんー」と、白はいつもの甘えた調子で泣きついてきた。

サラサラとした気持ちのいい風が肌の上を滑っていく。

「明日から合同演習なんだよぉ。しかも一週間ッ!」

「はぁ、そうなん?」

「そうだよぉ」

どうやら五番隊・九番隊の二隊で演習をするらしい。二隊合同の演習といえばその規模も大きい。今頃白は演習の準備で忙殺されててもおかしくないのだが、本人はいたってのんびりしている。まぁ、彼女はいつでも何事にも動じることはなく、マイペースなのだが。

白は大げさなくらいに、あーあ、とため息をついた。

「なんで演習なんかすんだろ。二隊合同とか超意味わっかんない。しかも拳西超張り切ってるしぃ」

「うちは羨ましいわ。なんならうちとこの軟弱で研究ばっかりしとる隊士も纏めて面倒みたって」

「ええー?」

白は信じられないと言わんばかりに素っ頓狂な声を上げる。その横で、じゃぁ真子は明日から居ないんだな、と考えて、すぐにその考えを打ち消した。

視線だけを空に向ける。雲の流れが速い。

「ほな、明日はリサと飯やなぁ」

 しみじみ呟いて、うんと背伸びをして息を吸い込むと、白もうちに倣って背伸びをして言った。

「あのね、あたしは行かないよぉ」

「は? なんで?」

「だってあたし留守番だもん。ていうか、行くのは拳西と要っちと、下位の席官のこたちと、入隊して10年未満のこたちだけなんだよねぇ」

完全に他人事の白。よくよく聞けば、どうやら『新人教育の一環として合同演習をする』、という名目のもと、『下位席官の意識の向上を図る』のがこの演習の最大の目的なのだそうだ。それに隊長と上位席官1名が演習に同行して、同行しない副隊長以下の隊士たちは、隊舎で通常業務にあたるらしい。ちなみに発案者は真子の副官で、白の上官の拳西がその発案に乗っかったんだ、と白は焼いたお餅のようにぷくっと頬を膨らませて言った。

「拳西いないからあたしが隊長代行しないといけないしぃ。超めんどいよぉ。どうせならもうみんなで演習すればいいのにさぁ。有事の時とか、うちが先遣隊組むことが多いのにさっ。何かあったらどーすんのぉ」

 ……知らんがな。

 自分よりも年上のくせに、子どもっぽいところがある白。なんで拳西がそばに置いてるのだろうかとたまに疑問に感じてしまうが、うちの知らない何かがあるのだろう。体術なんかは死神でもトップクラスの腕前だしその辺が買われてるのかもしれない(あと、無駄に高い順応性も)。

「うちに泣きつきなや。ちゅーかあんた副隊長やろが。しゃんとし。しゃんと」

 仕方なく、泣き言をいう白の緑色のやわらかくてふわふわの髪を撫でてやる。背の低いうちが、自分よりも背の高い白の頭を撫でるのは変な違和感があったけど、白はふふっとクリクリのどんぐりみたいな眼を細めて笑って、ひよりんお母さんみたいと言った。

 顔を顰めてみたり、ふわふわ笑顔になったり、表情の豊かな白は、全然似てないのに間島を思い出させた。

「どったの? ひよりん」

「なんもあらへんわ」

 頭を撫でていた手で、わかれた前髪からのぞくおでこをぺチンと叩く。いたーいと恨みがましくうちを見た白は、非難の声を上げるかと思ったら、「あっ」と言葉を漏らし、うちの頭上よりも、もう少し上の方を見上げた。

不思議に思ってその視線を辿り、振り返ると、気配もなく真子が呆れ顔でうちの後ろに立っていた。想定外のことにうちはしっかり十秒以上固まってしまった。

「なんでお前がここにおるんや」

 何か言わなくてはと頭をフル回転させてやっと出てきたものは、何のことはない、いつものように憎たらし言葉だった。思ったよりも普通に言えたと思うけれど、心臓はバクバク。右の下まぶたがピクピク引き攣った。

真子は口をへの字に曲げる。

「そりゃおるやろ。瀞霊廷内の往来のど真ん中やぞ」

「知っとるわ。そうやのうて、わざわざ霊圧消して、うちの後ろに立つのはどういう了見やっちゅーねん」

「了見もくそも、お前、俺のこと避けとるやろが。こうでもせな、お前逃げてくやろ」

 その通りだ。真子が近くに居るとわかれば、たぶん逃げるだろう。

自分の考えがバレバレで、恥ずかしい。

「まぁ、後ろに立たれたくないなら、ちょっと霊圧消したくらいならすぐにわかるようにならんとな」

なにを、えらそうに。肩をすくめてお手上げのポーズをとる真子に、文句の一言でも言ってやりたかったのにうまく言葉にならない。うちが口だけをもごもご動かして言い淀んでいるのを察したのか、白が横から割って入る。

「だけどねぇ。シンズィ。隊長格の霊圧の消し方って尋常じゃないと思うんだけどぉ」

「あほか。惣右助なんかすぐに気づきよるで」

「ソースケは、別格だもん。時期隊長候補だよ? シンズィが手放さないだけで、余所の隊だったらとっくにソースケを隊長に推薦してるってぇ。十番隊とか空位じゃん」

「あかん、あかん。あいつはまだまだや。だいたいあいつは十番隊って感じやないしなぁ」

「そうなの?」

「そうや」

「ふーん。意味わっかんない」

「ほな、なんで聞いたんや……」

 そんなやり取りをしている二人を見て、よし、今のうちにここから離れてしまおう。我ながら狡賢いことを考えると、音がしないように忍び足で一歩、二歩と後ずさり、踵を返す。そのまま走りさろうと、地面を蹴った――その瞬間、ふわっと体が宙に浮いた。突然の出来事に頭の中が一瞬で真っ白になる。

「こら、ひよ里。逃げるなや」

「なっ! なにすんねん!!」

どうやらうちは真子に死覇装の襟首を掴まれ持ち上げられたようだ。まるで猫の仔の扱い。喚きながら手足をジタバタ動かしていると、通りすがりの一般隊士や商人たちが何事かとこちらを一瞥して去って行く。

「なにすんねんちゃうわ。何を逃げようとんのや」

「うるさい。はよ離せ! ハゲ!」

 なかなか襟首を持ったまま離さないので(下手したら首が締まるっちゅうねん)体をよじって暴れれば、危ないがなとやっと降ろされた。逃げ損ねた体裁の悪さと居た堪れなさで、ますます真子と顔を合わせられない。視線の持っていき場に困って地面を見ると、真子の重いため息はその地面に落ちた。

「最近のお前の態度はいったいなんやねん。オレに腹がたってんやったらそう言えばええやろ。やりにくうてかなわんわ」

惣右助や春水サンとか、お前に何やらかしたんやとか面白がるし。ぼやく真子に、「別に……、」と歯切れ悪くぶっきら棒に答えると、真子は眉間に深く皺を刻む。居心地の悪さにじっとり汗をかいた手で、袴を皺になるほど握りしめた。

白も居づらいのか、「ねぇ、あたし、あっちいってようか?」と気を使って離れていこうとする。

それは困る。今、一対一で真子と向き合う自信がない。白の手を掴んで、行かないでほしいと意思表示をすると、白は困ったようにうちと、真子を見比べる。

「ああ、別にええで、おれば。すぐに話も終わるし」

「そ?」

 わかったと頷きながら、会話には入らないように、あたりをキョロキョロと見回して一人で何か呟いている。とりあえず、そばから離れないでくれることにうちは感謝した。

「ほんで? なんでやねん」

 ほっとしたのもつかの間、真子は腕組みをして非難じみた視線をうちに向ける。ちょっと(いや結構だけど)避けたからってどうしてこんなふうに見降ろされないといけないのだろうか。どうでもいいじゃないか。むしろ、とび蹴りや、ボケハゲ言われなくなったことを感謝してもいいぐらいだろう。内心思うものの、いつものように喋ることができず、うちは下唇を噛んで、俯いて黙ったまま。まるでいたずらをして叱られている子供みたいで、自分が嫌になる。

「だんまりか」

「……」

 多少苛立ったような声色に、余計萎縮してしまう。

「俺、なんかしたか?」

 首を横に振って答えた。真子はまったく腑に落ちなくて、うーんと唸る。

「せやったら何で避けんねん」

「……知らん」

「はぁ? なんやそれ! 意味わからん」

まったく当を得ないうちの返しに真子は大仰に天を仰ぐ。

そんなもの自分自身が一番よくわからないんだ。こんなぐちゃぐちゃでわけのわからない感情なんて、今まで知らなかったのだから。

真子といれば、どれだけ喧嘩をした後だって、いつだって楽しかったし、腹が立っても後に引きずるようなことなんてなかった。一緒にその場所に居ることが嬉しかった。

でも今は、無性にイライラしてしまうし、悲しくなってしまうし、会っても今みたいにしゃべることもできない。あの日以来気持ちは、不安定。こんなに自分の気持ちを持て余したことなんて今まで無かったのに。

「また、だんまりか」

「……」

 面倒くさいやつだと、きっと思っている。愛想も尽かされたのかもしれない。だけど何も言えない。何か言った方がいいと思うけど、上手い言葉もみつからない。痛いくらいに下唇を噛んだせいか、目頭も熱くなってくる。ギュッと固く眼を瞑る。

 早くここから立ち去ってくれればいいのに。そう思いながら重たい沈黙を耐えていると、

「しゃーないな。もうええわ」

 投げやりな調子で言われた気がして、急に寂しさに襲われた。うちはとっさに何か喋ろうと口を開いたが、それよりも早く、真子は乱暴にうちの手を取って押しつけるように掌に『何か』を置いた。

「な、なに、」

「やるわ、それ」

 真子は顎をしゃくらせて手の中に置かれた『何か』を見るように促す。恐る恐る手を開いて見てみると、くしゃくしゃに丸められた茶色の紙の中に赤と青のガラス細工っぽい作りの丸い粒が花のように並べられている飾りが付いたものが三つあった。

「髪留めや……」

 呟いて、真子を見上げる。

髪留めは繊細な作りで、決して安い代物ではないことは見た感じでわかる。今日は誕生日でもなんでもないのに、

「なんで?」

「別に? なんとなくや」

 なんでもないと言わんばかりに、首をコキコキ鳴らして真子は空を見上げる。曇ってきたな、と照れ隠しなのかぼそぼそ呟く。今度は真子の方が余所ばかり見て、いっこうにこちらを見ようとしない。隣に居る白は声も出さずに驚いた表情で真子を見ている。当然うちもかなり狼狽えていた。

 お菓子なら何度か貰ったことがあるけど、こいつから(というか男から)髪留めなどの装飾品の類を貰うことなんて今まで無かった。初めてのことだった。一体どうしたのだろうか、と考えたところでハタと思い出す。

 この間、唄酒場に行く前に真子と間島に会った時、うちは間島の顔を見れなくて、彼女の髪留めを見てやり過ごそうとしていた。それを真子はうちが髪留めを欲しがっていると冷やかしていたけど、もしかして本気でそう勘違いしていたのだろうか。そう考えるとなんだか申し訳ない気がしてきた。

「こんなん、もらわれへん」

 うちがぶんぶん首を振って貰うわけにはいかないとアピールすると、めんどいやっちゃなぁと、鼻の頭を抓まれた。

「なにふんねん!!(なにすんねん)」

 情けない声を出して講義をすると、真子は満足げに口の端を上げて鼻を抓んでいた手をぱっと放す。

「やる言うてんやから、素直にもろうとけ、ボケ」

「せやかて……ッ」

お菓子ならともかく、こんな高そうなもの誕生日でもなんでもないのに簡単に貰うわけにはいかない。それに、こういうものを送る相手は別にいるじゃないか。

引き下がろうとしないうちをみて、真子は腕組みして鼻を鳴らす。

「ええから。それ受け取って、ほんでとっとと機嫌なおせや」

「でも、」

「……調子狂うねん。癪やけど。それもろうて、機嫌なおして小猿は小猿らしゅうにギャンギャン騒いでそこらじゅう駆け回っとけ」

「なっ! 小猿言うな! ハゲのくせに!!」

 反射的に出てしまったうちの憎たらしい言葉に、真子は破顔する。よし、と大きな手が、くしゃくしゃとうちの頭を撫でた。こんがらがった糸が解けていくように、硬くなっていた頬が緩んでいく。

(……どないしょう。うれしい)

 我ながら何て現金なやつなのだろう。気にかけてもらえたことが嬉しいとか。大きな手に撫でられて嬉しいとか。

機嫌を取ろうと、こんなのまでくれて。

 ついさっきまでふて腐れていたくせに、すぐに機嫌よく笑ってしまうのは少し調子が良すぎると思って、緩んだ頬に力を入れる。


お礼を言おうと思った。

「ありがとう」とお礼を言って、次からはいつも通りにしようと思った。

真子が本当に間島と付き合っているかもしれないけれど。

自分は、何も言わないで失恋してしまうのかもしれないけれど。

もしも噂が本当なら笑って、おめでとう。と、祝福しよう。

悲しいけれど。

悔しいけれど。

気にかけてもらえて嬉しかったから。

ちゃんと女の子扱いしてもらえていることがわかって、嬉しかったから。

この瞬間に思ったことは、嘘じゃない。本気でそう思っていた。



「シン――」ジ、と名前を呼ぼうとしたうちの声は小さかったせいかもしれない。同じタイミングで、「平子隊長!!」と、真子の後ろから聞こえた声にかき消された。

聞き覚えがある声。誰かはすぐにわかった。

あの、七席だ。間島桐子。

「藍染副隊長がお探しですよ。平子隊長」

 間島はうちと白を認めるとお話し中にすみませんとこちらに向かって軽く一礼をして、すぐに真子の方に向き直った。

言いかけた感謝の言葉は、声にすることなく飲み込んだ。さっきまでの浮いていた気持ちは、しゅるしゅると萎んで小さくなってしまう。この二人のことを祝福しようと思ったくせに。また、真っ黒い気持ちに覆われた。

真子が間島を見る。さっきまでうちを見ていた、あの瞳で。

「なんでや?」

「明日の演習の件で六車隊長と打ち合わせをして欲しいとおっしゃられていて、……あ。丁度よかったです。久南副隊長もお願いします。六車隊長、もう隊主室にまでいらしているんです」

「えー? まじぃ?」

「はい」

 うげげぇ。と言いながら、白が情けない声を出すと、間島はお手数をおかけしてすみません。軽く頭を下げながらやわらかく笑う。

(あっ……、)

ふと、気が付いた。彼女の左側にある髪留めがこの間のモノとは全く違う。この手の中にあるものによく似ていると思った。

(……あぁ、そうか)

 もう一度手の中の髪留めと、間島がしている髪留めを交互に見る。色が違うだけで配列まで完璧に同じ。たぶん色違いだ。

(そういうことか)

 もともと間島に買ってやったんだろう。たぶんこれは、おこぼれというやつだ。

 そりゃそうだ。うちなんかがこんな可愛らしいの付けるよりも、間島が付けた方が可愛いに決まってる。


 嬉しかったったんだけどな。

 嬉しかったはずなんだけどな。

 でも今は、悔しくて仕方がない。

 ――女の子扱いしてもらえたと思って浮かれてしまった自分は、なんて滑稽なんだろう。

 何かが音立てて壊れた気がした。

「白、文句言うてないで、はよ行ったり。待たせたら悪いで?」

「ひよりん?」

 自分でも不思議なほど低い声が出た。低すぎて、少し掠れたようになった。

 様子がおかしいと思ったのか、怪訝そうに白がうちを見る。それを無視して手の中にある髪留めを、ギュッと壊れない程度に強く握りしめてから真子の方に突き出した。

「これ、いらんわ。気持ちだけもらっとくし」

「は?」

 真子は驚いたようにうちを見た。少しだけ傷ついたような目の色が見えたけど、それはうちの都合のいい妄想だろう。そんなはずない。

「もらうんやなかったんか?」

「もらうなんぞ言うてへんやろ。うちには必要ないし。邪魔なだけやし」

 ぞんざいな言い方をするうちのせいで場の空気が一気に悪くなる。見かねた白が、「ひよりん、いくらなんでもその言い方はひどいよ」とたしなめつつ、

「ごめんねー。間島っち。びっくりしたでしょー? ひよりんおこりんぼだから気にしないでねぇ」

「うるさいねん、白。あんた関係あらへんやろ」

間島に気を遣い、場を和まそうと笑っている白にまで八つ当たりをする始末。

「何いきなりキレてんねん。ひよ里」

「別にキレてへんし。普通やし」

「どこが普通やねん。お前、ほんまおかしいぞ」

「そりゃ、すいませんでした。平子隊長」

「ひよ里……、」

 口を歪めて皮肉交じりに言えば、真子が若干口ごもる。こんなの良くないと頭では分かっているのに、口からついて出る言葉はトゲのあるものしか出てこない。止まらないのだ。

「とにかく! これはいらん」

「はぁ? もう、ほんまなんやねんな。お前にやる言うたんや」

なかなか髪留めを受け取ろうとしない真子に向かって突き出した手を、苛立ちを抑えられず上下に振る。

「しゃーから、こんなしょーもないもんいらん言うてんねん、うちは!」

「ひよりん! やめなよ。ちょっと酷すぎるよ」

「白は黙っとけや!」

 今度はうちを制すようにして、肩を持とうとする白の手を怒鳴りながら乱暴に振り払った。

「白、ええわ」

「だけど……」

 すまんな、とうちの代わりに謝るような視線を白に投げてから、うちに向き直る。

「ひよ里、ええ加減にせぇ。白に八つ当たりしてなにしてんねん」

 声を大きくしたわけじゃないが、真子の声が低くなったのがわかり、思わず体がびくついた。これは本気で怒っている証だ。

 うちは何も言い返せない。

真子が怒っても当たり前だと思う。

 一度はありがとうと貰おうとしたものを、邪険に扱い突き返そうとしている。そのうえ、真子だけじゃなく白にまで八つ当たり。出てくる言葉は劣悪極まりない。

 何をやっているのだろう、自分は。

「だいたい、や。なんでうちが、この女と色違いのもんつけなあかんねん」

いったんは閉じたはずの口がまた開く。苛立ちの矛先は間島に移る。

「仲がええわけでもないのにお揃いとか意味わからん。ええ迷惑や。頼んでもないことにこんなことせんでええねん。ほんまうっとうしい!!」

これ以上言ってはダメだと思っているのに、制御ができない。人を傷つける言葉をわざと選んで捲くし立てていた。

 睨みつけるように呆然と立ち尽くす間島を見る。目が合うと、泣くまではいかなくてもみるみるうちに歪んでいく。

本当に、最低だ。彼女は何も悪くないのに。

「せやから、これはいらん」

 唇を固く結んでいて、いつものふざけたような怒り顔じゃなかった。まるで敵を睨みつけるような怖い顔で真子はうちを見下ろしていた。

真子はどれだけ他人に自分自身のことをこき下ろされても涼しい顔をして受け流すか、冗談にすり替える。そんなやつだ。だから真子が今怒っていることは間違いなく間島や白に対するうちの態度に怒っているんだろう。それがわかる分、余計にうちを意固地にさせた。

半ば、もうやけくそだった。

「いらんねん、こんなもん!!」

うちは思い切り声を張って叫ぶと、

手の中の髪留めを真子に向けて、――投げつけた。


 白の「あっ」という声とともに、髪留めは真子の胸元を少しそれて、頼りなく白い隊主羽織にあたって、パラパラと三つとも地面に落ちた。大声を出したせいで、一瞬あたりがシンと静まり返る。何事だろうと注視されているようだったが、それもわずかの間のことで、周りが空気を読んだのかすぐにいつもの喧騒が戻った。

 真子は落ちた髪留めを無表情で見ていた。しばらくそれを眺めてから、ため息を一つつくとしゃがみ込み、ゆっくりとした動作で投げつけた髪留めを一つ一つ拾う。

罪悪感で胸がギシギシと音を立てるように痛んだ。

「白と、桐子に謝り、ひよ里」

 髪留めを拾い終わると真子は立ち上がり、再びうちに謝るように促す。

 悪いのは、自分。真子も白も、そこにずっと泣くのを我慢したままでいる間島も誰も悪くない。一人で勝手に怒って、みんなを嫌な気持ちにさせた自分が、悪い。わかりきっていることなのに、うちは素直に謝ることができなかった。

 重苦しい空気の中、沈黙が続く。

 真子は何かしらうちの言葉を待っているようだったが、余所を向いて知らんふりを決め込んだ。

ここから一刻も早く走り去りたい。

真子が本気になればすぐにとっつかまる。そうしたら再び説教が始まるかもしれなかったけど、とにかくどこかに行きたくて仕方なかった。

どうやってこの場から逃げ出そうか。

……そんな馬鹿なことを本気になって考え始めていると、いい加減痺れを切らせた真子が口を切った。

「間島や白が、お前になんかしたか?」

「やかましいわ」

「ええ加減にせぇよ、ひよ里。ガキやないやろが。仮にも副隊長の腕章付けた死神やろが。自分が今、何して、何を言うてんのか、よう考えや。自分より下のモンにする態度ちゃうやろが」

「知るか、そんなも――」

言い終わる前にパチンと乾いた音がした。と、同時に頬に熱い痛みが走る。

何が起こったのかわからず、ぽかんとしたまま真子の顔を見る。左頬がジンジン痺れるように痛んで、ようやく真子に頬を打たれたことを頭が理解した。

 もっともな言い分だった。冷静に考えれば、真子の言っていることが正しい。真子が間島を庇うのもまた当然だった。当然だったけど、『間島をかばった』その事実は、やけに胸に突き刺さって痛い。

打たれた頬よりも、ずっと痛い。

「今のお前見たら、零番隊に行った曳舟サンかて悲しむんちゃうか」

 今でも本当のお母ちゃんのように大切な、元・十二番隊の隊長の名前を出され、思わず顔がカッと火が付いたように熱くなる。

「ひ、曳舟隊長は、関係ないやろが!」

「関係あるわ! 副隊長に取り立ててくれたあの人に、恥かかす気か」

「お前に説教されたないねん!」

「されたないなら、きっちり謝れや!」

 二の句が上げれず、言葉に詰まる。

 真子は一呼吸おくと、今までの怒声をまき散らすような言い方から一転して、失望したとでも言いたげな表情を向け突き放すように静かに言い放った。

「それができヘんやったら副隊長の資格もないわ。今すぐ腕章返してこいや」

「――――ッ!」

 もう、だめだ。

完全に嫌われた。完全に。

「……うるさいわ」

 それなら徹底的に嫌われた方が楽かもしれない。

どうせならもっと憎たらしく言ってやろう。

もっと酷く傷つくことを言ってやろう。

そう思うのに、バカの一つ覚えみたいに一つのことしか言えない。

「うるさい、うるさい」

 言いながら後ずさる。喉の奥が苦しい。笑えるほど弱々しい声しか出なくて情けなくて仕方い。

引き留めようとうちを呼びながら腕をつかもうとする、真子の手を乱暴に振り払った。

「触るな」

 込み上げてくるものを懸命に堪える。奥歯を噛みしめた。

真子の阿呆。

人の気も知らんくせに。なんも知らんくせに!

「あんたなんか……、あんたなんか虚に食われてまえばええねん! 喰われて、死んでまえ!」

 最低な言葉を投げつけて、うちはその場から逃げ出した。










 瀞霊廷の往来で派手に喧嘩(というかうちが勝手にキレていただけなのだが)をしてしまったことは、幸いなことに噂になることはなかった。

真子は演習に行っているおかげで何もしなくても顔を合わせることはない。

間島や白にはきちんと詫びを入れなければいけないのだが、合わせる顔が無くていまだに言い出せずにいる。さっさと謝ってしまえばいいのに、隊務で忙しいのを言い訳に昼休憩も取らずに働いていた。そのせいで白や間島だけでなく、リサにもあってない。さすがに喜助も怪しんでいるし、マユリや阿近も技局に入り浸るうちを気味悪がっている。いつまでもこんな状態を続けているわけにはいかないのはわかっているのだけれど、あの日のままうちは動き出せないでいた。

時間だけが無駄に過ぎていき、何も解決しないまま真子たちの合同演習も残り二日となった。

その日の夕刻。

仕事もとりあえずひと段落つき、いい加減白たちには謝らんとな、そんなことを考えながらうちは試験管などの実験道具の片づけをしていた。

廊下の方から騒がしい足音がして、誰だろうかと霊圧を探れば白のもの。雑談をしていた局員たちも音に気が付いたものは技局の出入り口を注視する。廊下を走る音が一番大きく響いた瞬間、乱暴に扉は開け放たれた。

「シンジが死んじゃうかもしれない! ひよりん!!」

 あまりに唐突だった。息を切らしながら信じられない言葉を吐く白に、そこに居た全員がざわついた。その場にいた局員たち全員の視線が一斉に白に集まっていたが、そんなものは気にも留めず、無遠慮に局内に入ると、噛みつくような勢いでうちの肩を掴む。彼女の顔にはいつもの笑顔はどこにもなかった。

「今、四番隊で治療受けてるの。だからひよりんも来て」

 喜助には許可をもらっているから、早く。そんな彼女の言葉を聞いても、顔を見ても、空想のおとぎ話を聞いているみたいで、まったく現実として捉えることができないでいた。

だって、あるはずがない。

真子が、死ぬかもしれないなんて。

うちは片づける途中の試験を握りしめたまま、白をぼんやりと見上げる。働かない頭を動かしてなんとか言葉を紡ぎだす。

「……、うちまだ片づけの最中やし。それに、うちの隊のモンとちゃうし、それから……、」

「いつまでそうやって意地はってるの?! もしもシンジが死んじゃったら、あれが最後になっちゃうんだよ? ひよりん、それでいいの? ねぇ、そんなの絶対だめだよ!」

 真剣な白に気圧されて、うちは固まったまま動けないでいた。それに苛立ったのか白が痛いくらい力を込めてうちの身体を揺する。しっかりしてと。それなのに、この期に及んでうちは卑屈でしかなかった。

「おるやんか、他に。うちなんかがおったら邪魔に」

「ひよりん!!」


 一向にその場から動こうとしないうちを、痺れを切らしたのか白は引きずるように無理やり技局から連れだした。

いやや。だめ、行くの。押し問答を何度か繰り返し、結局、白に押し切られる形で四番隊舎に辿りついた。

四番隊舎の中には怪我人を収容できる救護室があって、どうやら真子はそこに居るらしかった。救護室に行くまでに沢山の隊士たちとすれ違う。普段は静かな四番隊舎内のはずなのに、誰もが慌ただしく行ったり来たりしていて、ただ事ではない様子は肌で感じることができた。

『何があったのか』と、怒ったような白の横顔に、いつもみたいに気軽に尋ねることが出来なくて、うちは無言のまま救護室まで手を引かれていった。

「なんや、これ」

救護室は土と血の臭いで充満していた。中は重傷軽傷問わずどこかしら負傷した隊士たちでごった返していた。思わず口をついて出た言葉に、白は何も答えない。無言のまま部屋の最奥にまで突き進んでいく。処置室と、病室を隔てる布を横に避けると、とそこには真子がいた。

うちが立っている場所からは、彼の上半身までしか見えないが、窓際に置かれている寝台に横たわっているのは確認できた。

深刻な状態であることは遠目からも見てとれる。もともと肌の白い男の顔からは、血の気が引いていて真っ青だった。べったりと色味の無い頬に残っている赤黒く変色したものはおそらく血液だろう。

無造作に寝台の近くに置かれた椅子に掛けられているのは、真っ白だったはずの五番の文字が入っている隊主羽織。それも彼の頬に着いたものと同じ色に染まっていることに気が付いて、あまりの生々しさに背筋が粟立った。

情けないことにうちの膝はガクガク震えていてその場に立つのもやっとだった。これよりも悲惨な状況は死神になって幾度となく見てきたはずなのに、今までにないほど動揺してしまっていた。絶句したまま、声も出せない。

「拳西呼んでくるから待ってて」

立ち竦んだままのうちを見て、白は隊長の六車拳西を呼びに行った。拳西は真子が寝ている部屋の中でわざわざ待っていたらしい。その部屋からすぐに顔を出した拳西も、肩から腕にかけて包帯をしていた。いったい、彼らの身に何が起こったというのだろう。尋常じゃない怪我人の数。ただの演習でこんなことには普通ならないのに。

 言葉を失ったまま黙っていると、怪我人の拳西に逆に心配されてしまった。大丈夫だと首を縦に振ると、拳西は口惜しそうに真子の現状を報告し始めた。

「あいつ、怪我自体は卯ノ花サンのおかげで何とかふさがっているし、大丈夫なんだが、出血がひどくてな。生命維持ができるかできないかギリギリのところだったらしくって、今夜がやまらしい」

「――!」

 そんな馬鹿な。

 拳西は何を言ってるんだろう。

 ――コンヤガヤマラシイ。

 そんなこと、あるわけないじゃないか。

 信じられるはずもない。頭から冷水をかけられたように体が冷えていくのがわかった。


 ふと、昔の記憶が蘇る。

『知っとるか? ひよ里』

 うちは十二番隊舎の中庭が眺められる縁側に腰を掛けていた。パラパラ雨が落ちるさまを飽きることもなくあの人と二人で眺めていた。当然のようにあの人がそばに居るのだから自分はすでに副隊長になっていたんだろう。もう繰り返されることはない穏やかな時間。どうしてあんな話になったのかはもう覚えていないけれど、お母ちゃんみたいに優しくて、お父ちゃんのように強くて凛々しいあの人はまるで子どもに昔話を聞かせるように教えてくれた。

『言霊いうてな、言葉には、魂が宿るんや。どんな言葉にも』

『魂、ですか?』

『そうや。言葉は怖い生き物やからな、自分が喋る言葉には気をつけなあかんのや』

『そんなアホな。曳舟隊長、そんなん信じとるんですか? 迷信とちゃいますの?』

『迷信や思う?』

『そりゃぁそうですやろ?』

 うちがケラケラ笑えば、あの人はゆっくりとうちの手を取ってしょうの無い子やなぁと、眉根を寄せて薄く笑った。柔らかくて暖かい手。その手のぬくもりだけは今でも鮮明に思い出すことができる。

『あのな、ひよ里。いつかわかる時が来るわ』

『そうですやろか?』

『たぶん、な。

……でも、その時後悔しても、遅いんやで』

 あの人があんなことを言ったのは、普段から口が悪いうちをたしなめるために言ったのかもしれないし、本当にそういうものがあるのだと信じてったのかは今でもよくわからない。あの人があんなことをうちに言ったのは、あれっきりのことだったから。

 ただ、うちは今、ものすごく後悔していた。

 

「真子、死ぬんか?」

 やっと口から出てきた声は、涙声のような感じだった。拳西はそれに答えるように片眉を吊り上げる。

「縁起でもねぇこというんじゃねぇよ。こんなことであいつが死ぬわけねぇだろうがよ。絶対大丈夫だ」

「せやけど!!」

 そうだけど。そうかもしれないけど。

 この世に絶対は存在しない。

 もしも……、ということがあるんだ。

 あの人は昇進してうちの前から居なくなってしまったけれど、そんなのは特別な例であって、うちと仲が良くて切磋琢磨していた仲間だった死神の多くが任務先などで帰らぬ人となった。

「今度一緒にあんみつを食べよう」その約束が最後の言葉になった仲間がいた。

別れの言葉すら言えなかった仲間がいた。

苦悶の表情を浮かべたまま逝ってしまった仲間も。

命を賭してまでうちを庇って亡くなったものも――、いた。

今までどれだけの墓標の前で花を手向け、手を合わせてきただろうか。

あんたらの分まで頑張ると誓って。

虚を相手に死と隣り合わせの仕事をしている自分たちは、いつ死んでもおかしくない。

そんなこと百も承知しているのに。

『あんたなんか虚に食われて死んでまえ』

 どうしてあんな酷いことが言えたんだろう。

 あの人の、曳舟隊長の言った通りだ。

 今更後悔しても、――遅い。


  


☆様からのリクエスト小説その2話目です。
長くてすいません!まだ続きます。間島ちゃんの間の悪さは少女小説・漫画には欠かせませんね! 2012.06.17