めぐる因果の言い分
日付が変わる午前0時少し前。
「義骸の調子がおかしいからって浦原商店に行ったぜ、あいつ」 三人掛けのソファーに一人横になり陣取りながら如何わしい小説を読んでいるのは、セーラー服のコスプレをした矢胴丸リサだ。彼女が小説を読みながらぼやいたそれに答えたのは、リサが座っているソファーのすぐ下の固い板の上に座って週刊のとある漫画を読んでいる、上下ジャージ姿の愛川羅武。他の仲間も各々趣味に没頭しており、いつもなら居る筈の女の子が一人いないせいか、その場はとても静かだった。羅武とリサは互いに本から視線を外すことなく、会話を続ける。 「それは知ってるけど、義骸のメンテでそない遅くなる?」 「まぁ、あの二人は元上官と副官の仲じゃねぇか。積もる話もあるんじゃね?」 「ふーん。・・・例えば?」 「オレが知るかよ。真子は知ってんじゃねーか?なぁ、真子」 「急にオレに振るなや」 彼らから少し離れた位置にあるテーブルの上でコーヒーを啜りながらコンサバ系のファッション雑誌を眺めていた平子真子は、急に話題を振られ大変迷惑そうに目を細めた。 「せやかて、あの二人の事よう知ってるのはあんたやないの」 「昔の話やろ。今は喜助とやって必要最低限にしか会うてへんし、知るか。何話してたかなんて、ひよ里が帰ってから訊けばええやろが。オレにいちいちあいつらの話振るな」 「あんたにも、わからんことあるんやね。ひよ里のことは何でもござれか思ってたわ」 顔を真子の方に向けることもなく淡々とリサは言う。 「あいつの保護者ちゃうねんから、当たり前やろ。ひよ里にやってプライベートくらいあるやろが」 「昔はあんたらにプライベートなんかあって無いようなものみたいに見えてたけど、ちゃうんやなァ」 「何が言いたいねん」 「別に。ただ、あんたらいつからそないプライベート大事にするようになったん?」 「ッ!」 リサの言葉は一番触れて欲しくない部分に接触したらしく、返す言葉に詰まった真子はイラついたように、それまで読んでいた雑誌を音をたてて閉じ、飲んでいたコップをテーブルの上にドンと置いた。いつもと違う真子の様子にリサ以外の仲間の視線が降り注ぐ。居心地を悪くした真子は、乱暴に椅子から立ち上がり、コップを流しに置くと仲間の居るリビングを逃げるように後にした。電気も付けずに真っ暗な廊下を自室に向かって歩みを進める。 扉一枚隔てた向こうでは、 どったの?シンジ。すっごい不機嫌じゃん? リサがシンジを突くからだよ。やめとけばいいのに。 突いてへんわ。思った事を言うただけや。人聞きの悪い事言わんでくれる? そんなやり取りが繰り広げられていた。 自室に戻り、倒れ込むようにしてベッドに伏せると、おかっぱの頭を掻いた。 何を、イラついてんねん。と、真子は自嘲する。 自業自得やろ、と。 あの子に、『好きだ』と言われた事があった。真子は感の良い方だったので、薄々だったがあの子の気持ちには気が付いていた。そもそも、あの子の狭い世界の中で、自分はあの子の傍に当然のように居続けたし、どこかへいかないように手元に置いておいたのも自分だった。あの子が真子に好意を寄せるようになるのも、ごくごく自然なものだったのかもしれない。そうなることを望んだのも、真子自身だった。 それなのに、いざとなって怖気ついたのだ。 大人の狡い欲望のまま、あの子を留め置いたくせに、 情けない自分をあの子に知られてしまうのが嫌だった。 時々、どこか大人びた表情をするようになったあの子の、自分を見透かすようなあの瞳が怖かった。 自分の中の、今まで蓋を閉じて見ないようにしてきたドロドロとした醜い部分が、弱いところが、すべてさらけ出される気がして、築き上げてきたこれまでの自分が崩れてしまう気がした。 未だに、『あの時のコト』を引き摺っている自分が、臆病な自分が、本当にあの子の傍に居ていいのか、と。 そうだ。ただ、嫌われたくなかっただけだ。 だから、成長しないあの子の身体を言い分けに逃げた。 あの子のせいにして、逃げた。 ―――オレは、最低や。 「――何を拗ねてんの」 真子以外居ない筈の部屋に突然リサの声がした。反射的に起き上がり部屋の出入り口へ視線を向けると、戸を開け放ったまま、柱に背を預ける様にして立っていた。例によって如何わしい小説も持参して。 「な!?なんでここにおんねんリサ!!」 「さっきからや。に、しても、いくらうちが気配消してたからいうて、あんたやったら気ィつくはずやけど、その様子じゃ、よっぽど応えてるんやね。」 放っておいてくれと背を向ける真子に、しょうもないとリサは呆れたように息を吐く。 「ずいぶん前からおかしいな思うててん、自分ら。昔みたいに取っ組み合いの喧嘩せぇへんなったやろ?あんた、ひよ里にようやり返してたやんか。今はやられっ放しやけど」 真子は、何も答えない。その様子を一瞥し、リサは読みかけの小説を開いて、そちらに視線を落としながら喋る。 「まぁ、それも、あんたが精神的に大人になったっちゅーだけの話なんやろうけどなァ。せやけど、ひよ里もなんかおかしいやろ。うちが気がつくんや、あの子の傍に一番居るあんたかて、気ィ付いてるはずやけど?」 「・・・・・・、」 何かしら反応を示さないかとリサは少しだけ伺うつもりで間をとってみたが、真子は肩を竦めるだけで言葉を返す気は無いらしい。 遠まわしに訊いても答えないか。それなら、とリサは質問の質を変えた。 「うち、他のみんなみたァに優しないから、ズケズケ訊くけどな、」 一旦区切り、リサは声のトーンを少し落として、 「あんたひよ里になんかしたんか?」 先ほどまでの回りくどい言い方から、ストレートに何か確信を得ているようなリサの言い方に、ああ、誤魔化しがきかないなと思い半ば自棄になる真子。鼻を啜り吐き捨てるように言った。 「何もしてへん。ちゅーか、何も出来ひんわ。最低な事は言うてもうたけど」 「なんや、襲うたかと思うたけど、ちゃうんか」 「ちゃうわ」 何かもっと酷い事を想像していたらしいリサは少々肩透しをくらったように一瞬ぽかんとしていたが、すぐいつものクールな表情に戻る。 「じゃぁ、何をいうたんや、ひよ里に」 「そこは訊かんでくれません?リサさん。オレにも黙秘権くらいあるやろ」 「ズケズケ訊くっていうたやろ」 目だけ動かし睨んでくるリサに、黙秘もさせてもらえんのか。とぼやきながら、 「好きや、言うてきた、」 脳裏に浮かぶあの時のあの子の表情が、未だに忘れることは出来ない。酷い事を言われて絶対に傷ついた筈なのに、取り繕うように笑ったひよ里を思い出すたびに胸が軋む。 「あいつの気持ち踏みにじったんや、最低なこと言うて」 あの子の精一杯の気持ちを踏みにじったのは、 滅多に笑わないあの子の笑顔を歪ませたのは、オレだ。 「・・・・・・アホッ」 顔色一つ変えず、リサは持っていた小説をまるで舞いでも舞っているような手つきで真子の顔を目掛けて投げつけると、バシンと重い音をたててぶつかった。 あいたたた、と顔を押さえて呻く真子に、拳やないだけ有難いと思い、そう冷たく言い放つ。流水の如く静かに怒りを表すリサに、これもまた自業自得かと、真子は内心思う。ため息を一つ落としてから、ベッドの上に椅子に掛けるようにして座り直した。 床に落ちたままの小説はそのままに、 「あんたがどれだけ腐っててもうちは、どうでもええねん。けどな、ひよ里の事は別やで?」 冷ややかな声で、リサは凄む。真子への配慮か、最低な事をひよ里に向けて言ったという事実だけで十分だったのか、その内容までは特に訊かれなかった事に少しだけ安堵した。 リサ達にとってあの子は妹みたいな放っておけない存在なのだろう。昔から彼女らは趣味も性格も違うが馬が合ったらしく、白も含めてよく一緒に居たので仲が良いのを知っている。『あんな事』もあったせいか、よりその絆は深いのは容易に想像できる。続いて出るだろう、リサからの侮蔑の言葉を覚悟した。 しかし、 「浦原喜助と、ひよ里、義骸のメンテ、それ以上の関係をもってるんやないの?」 考えないでおこうと、蓋をしたもう一つの事に、躊躇せずリサは触れた。真子の顔から表情が消える。 薄々気づいていた、その事。 喜助とひよ里は昔、隊長・副隊長という間柄だった。なんだかんだと文句を言ってはひよ里は悪態をついていたが、最終的には喜助を隊長と認めて信頼関係を築いていたのを真子は知っている。現世に落延びることになってもその間柄は変わることはなかったようだった。 ある時期までは。 彼らだって男と女だ。何かしらきっかけがあればそれ以上の関係にだってなりえるだろう。――事実、それ以上の関係を持っている。それに気がついたのは何時の頃だったか。 おそらく、真子がひよ里を傷つけてから、数年は経っていた筈だ。とはいえ、ただの人間よりも遥かに長く生きる彼らにとっては、数年といえども人間が感じるよりもずっと短い時間に感じるだろう。長い、長い時間を掛けて築き上げてきたひよ里と真子の関係性はたった数年で壊れた。否、真子がそう思っているだけで、あの日、ひよ里の想いを傷つけてしまった日にすでに破綻していたのかもしれない。あの子がどう思っているのかはわからないが・・・。 あれは確か茹だる様な夏の暑さがまだ残っていた秋の初めの事だったか。喜助の所から戻ってきたひよ里は真子の知らない、言葉に出来ない雰囲気を身に纏っていた。今までにない事だった。最初は気のせいだろうと思ったけれど、それは数カ月おきに続いた。喜助の所に行く時は何でもないのに、帰ってくると雰囲気が違う。あの子は自分で気が付いているのかはわからないけれど、真子はひよ里から女の色香を感じていた。 オレの知らないあの子が確かに存在する。 愛し合って付き合っているのか、それともただ、身体だけの関係なのか。 真子はそんな二人を見たわけでもないし、ひよ里はもちろんのこと、喜助にだって直接聞いていない。ましてや、誰かから訊いたわけでもないけれど、感の鋭い真子にとってそれだけで、彼を揺るがすには十分すぎるものだった。 嫌だと思った。 あの子から逃げておいて、誰のものにもならないで欲しいなんて、ずいぶん身勝手な言い分だろう。それでも、身勝手だとわかっていながら、一度は止めようとした。 喜助の所に行くなと、小さな肩を掴んで止めようとしたのだ。 ――うちが、どこで、誰と、何しようが、あんたには関係あらへんやろ。 あの子は掴んだ手を振り払い、その小さい体一杯に拒絶をした。 今まで、罵詈雑言、いろいろと彼女からプライドを砕くようなコトを言われたけれど、あんな風に拒絶された事は無かった。非難するような瞳で見られると、後ろめたい気持ちも手伝ってかそれ以上真子は何も言えず、追う事も出来なかった。 臆病者の末路。 あの時、あんな風に拒絶をされても、それでも引き留めていたら、今とは違う二人になれていたのだろうか。 「あんた、それで本当にええと思ってんの?」 やけにリサの言葉が真子の胸に突き刺さる。 「そんなん、オレがあいつにとやかく言えることちゃうやろ」 そりゃ、そうやわな。リサは相槌をうつ。 「うちも、あの子がそれで幸せそうにしてんやったら何もあんたに言わへんわ。せやけどな、うちにはあの子が自分自身傷つけてるようにしか、見えへんのやけど」 「・・・・・・、」 確かに幸せそうな感じを、恋をしている女の子独特の雰囲気を、あの子から感じたことは無い。そうであっても、もともとひよ里はそれを表には出すタイプではないだろうけれど、それでも隠しきれず滲みでそうなものだが、それが無い。 喜助とひよ里がいい恋愛関係であるとは、言い難いのはわかる。 「ひよ里かて、そない強い子やないからね。どちらかっちゅーと、不安定な子や。楽な方に、逃げたんやろ。そのほうがリアリティがあってうちは嫌いやないけどね」 でもな、とリサは一呼吸置いて、悲しげな色を滲ませながら言った。 「ひよ里にはそういうの似合わへんわ」 当たり前だ。そんなの本来のあの子の姿なんかじゃない。 せやけど、 「オレに、どうせえ言うねん」 あの子に酷い事を言った。 あの子から拒絶された。 これ以上、あの子を傷つけたくないし、大切にしたい。まだ、何とか保てているだろう仲間としての絆まで失いたくない。 自分があの子にアクションを起こすことでその絆さえも失われたらと、そう思うと臆病になるばかりで何も出来なかった。 頭を抱え込むようにして座ったまま動かない真子に、冷めた視線を投げるリサ。 「・・・、あの子を突き落とすのも、そこから掬いあげれるのも、あんただけやろ」 その言葉に、息を呑む。 「そんなはず、無いやろ」 「無責任ッ!」 いつも冷静なリサが僅かに声を荒げた。静かな部屋に重く響く。 「あの子を、・・・ひよ里を、そういうふうにしたのは、あんたやないの?いい分けばっかり言うて、好きなんやろ?どうしようもないんやろ?違うか?」 「・・・、しゃーけど・・・ッ」 「ひよ里は、いまだに、いまだにやで?あんたの一挙一動でどうにでもなんねん。いつまであの子にあんな事させてんの。あんた何してんの!」 「あり得へんやろ、そんな・・・、」 都合のいいことが。 「まだ、言うか?せやったら、中途半端に優しくしてやるな。期待、持たせるような事してやるな。構うな。距離をおけ。嫉妬なんかしなや」 「・・・・・・、」 「出来ないんやろ?あんたも、ひよ里も、離れるとかそんなこと、出来るわけ無いんや」 捲くし立てるように言ったリサの最後の科白が真子の胸に響く。 切れかけの糸は、紡ぎ直せれるのだろうか。 また、 「男、みせやぁよ、真子」 俯き、だんまりを、決め込んだままの真子の答えを柱に凭れたまま腕組みをしてリサは待つ。やがて真子は身体をひきずる様にして動き始めた。床に落ちたままの小説を緩慢な動きではあるものの拾い上げると、そのまま歩を進め持ち主のリサに無言のまま押し付けるように渡す。 真子の表情はおかっぱの髪に隠れてリサには見えなかった。 何を考えているのかわからない真子の様子を観察するように見るリサとすれ違うようにして、真子は部屋を出て行く。 「外、出てくるわ」 覇気ない声で言うと、真子は夜の闇へと姿を消した。
悲愴サイクルの後に来るものです。どうも、私は真子をヘタレさせたくて仕方ないらしい。(つーか、これは女々しいか。でもそれも好き!)ラストのお話はヘタレつつもきっとかっこよくなると・・・思う・・・よ?(あれ?)にしても、リサさんは動かしやすいですね。そしてこのリサさんは、もうじれったくて仕方ないんでしょうね。二人のコト好きだから(ひよ里に比重は傾いてはいるけれど)幸せになって欲しいてきな。そんなわけで、お尻叩いてもらいました。2012.02.11 |