―――――――今日、一護が大けがをした――――



顔色を一つも変えることなく、何も感じていない瞳をした真子が抱きかかえて戻ってきた。

その後ろには、一度ハッチの頼みで織姫を迎えに行った時に彼女と一緒にいた女。

死覇装を身にまとった、肩まである黒髪の小柄な女が、心配そうな面持ちで一護をみていた。

一護の傷はハッチの力を持ってしても、完全に回復させてやれなかった。

難しい事はよくわからないが、とにかく虚に近い自分たちから少しでも離れて安静にしなければいけないらしい。

こんな時は、やたら胸の中がざわめく。

死神をみたから余計だろうか。

死神でも人間でもない存在である自分たち。

虚に近い霊圧を持っているからといって、虚でもない。

いや、そんなものになりたくもないが。

なにか、虚しい、悲しい、儚い存在だと痛感するのだ。

自分以外のものは、みんな大人。

その感情と上手に上手く折り合いをつけているのだろう。

何も言わないし、何も変わらない。

一護と死神の女が去った後も、いつもと変わりのないやり取りをいつも通りにしていた。

みんな絶対に抱えているだろう、このやり場のない焦燥感に平然とできる彼らはすごいと思いながらも、どうして何も言わないんだという苛立ちも沸き起こる。

ふと、真子の方をみれば、煤で汚れた何もない天井をボケっと見上げ、気だるそうに「腹減ったの―」とぼやいていた。

ひよ里は眉間の皺を一層深める。

忌々しげに地面を見つめ、ガン!と、力を込めて足元に転がっていた瓦礫をけり飛ばしたが、それでもイライラが収まらない。
「ちょお出てくるわ」とだけ言い残し、ひよ里はシャッターを潜り、古びた倉庫を後にした。

そんなひよ里の後ろ姿を真子は冷めた目をして見送った。






星型クッキー


スーパーの買い物袋を三つほど下げたツインテールのジャージ姿の小柄な少女は『浦原商店』の店の前に仁王立ちしていた。

「あら、ひよ里サン」

店の中からひょっこりと顔を出した、その店の主がヘラヘラと笑っていた。

この男のこういう飄々とした態度は昔から変わらないなと、懐かしくもあるがやはり腹立たしい。

ひよ里は、うんと背の高い、甚平に羽織物、深くかぶった帽子の店主をギロリと睨みつけ、

「台所、かせ」有無を言わせぬ物言いをした。

「いいっスけど、何するんスか?」

不思議そうに尋ねられ、

「クッキーや」

「え?」

「クッキー焼くんや!」

聞き返す男にイライラとでかい声で怒鳴りながらもう一度言うと、

「分ったら、早よ中に入れろ!」

手に持った買い物袋を店主の頭めがけて振り回せば、見事に彼の後頭部にヒットした。

地べたに崩れ落ちた男に一発蹴りをお見舞いし、肩をいからせズカズカと店の戸をくぐる。

「ああ、そうや」

思い出したかのように、男の方を振り向くと、顔を歪めて睨みつつ、

「どうせ下に死神が居るんやろ?ウチが帰るまで絶対に上にあげるな。ええな?」

吐き捨てるように言い、部屋の奥へと入って行った。

やれやれと重い腰を上げ、尻についた埃を払うと「待って下さいよ〜」とひよ里の後に続いた。








「でも、なんでクッキーなんスか?」

手際良く、材料をボールの中で混ぜ合わせているひよ里に向かって、店主は聞いた。

その、どうでもよさげな質問に、手を止めてしかめっ面をしたひよ里。

「ほら、クッキー」と、ボールの中身を指差し、めげずに尋ねる。

はぁ、と大きなため息をつき

「なんとなく、や」

そう答えた。

それを聞いてうーんと首を捻り「明日は雪でも降るっスかね?」おどけてそう言う店主のひざ裏にひよ里はローキックをかます。
ズダンと見事にその場にすっ転ぶ。

いつもならこういう役は平子サンなのに・・・ううと恨めしげに店主は天井を見上げた。

また、作業を始めたひよ里は、独り言を言うようにつぶやく。

「ただ、みんなと食べたいなと思ってん」

手を休めることなく混ぜ合わせた生地を、麺棒でごしごしと伸ばし。

「別に、クッキーでもなんでもエエんやけど。手作りのモンがエエ思って」

星型の型抜きで、馴れた手つきで生地をくりぬいていく。

「今日の事、お前もわかってんやろ?」

作業をしながら、店主の方を一瞥しそう言った。

破面と対峙した一護が大けがをしたことを指しているのだろう。

先ほどまでヘラヘラとした顔つきの男は急に読めない表情へと変化させた。

「・・・黒崎サンの件では本当にお世話に・・・」

「別に、なんも世話なんぞしとらんわ。礼なら真子に言いや」

「・・・・」

なんとも形容のしがたい少しの沈黙の後、それを振り払うかのように彼女はパンと手を叩いて、手の粉を落とす。

「ほれ、これ、オーブン中に入れろ、喜助」

星型に切り抜かれた生地が整然と並べられたトレイをずいと目の前に前に差し出され、店主は言われた通りにオーブンの中に押し込んだ。

ひよ里はまだ残っている生地を麺棒で伸ばして、また星型にくりぬいた。

ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。

それだけくりぬいた後、しばし動きを止めたかと思うと、勢いよく右手を振り上げ型抜きをバシーと机に叩きつける。

ああーーーとひよ里は頭を掻き毟り、

「あんの、ハゲが!!!!!!!」

怒鳴り上げ、わめき散らし始め、ついでに地団太を踏み始めた。

「い・・・いきなりなんスか?」

その子どもっぽい様子に面食らった喜助は、どうどうとひよ里の肩を叩くも、すぐにパシリと払いのけられ、そのついでに横っ面を引っぱたかれた。完全な八つ当たりである。

何故こんな目にと打たれた頬をさすりながら黙って彼女を見守った。

「アレは、仲間と思てるモンが傷つくんが一番堪えるんや」

自分が目を掛けたもんが、傷つくのが。

両手をぎゅっと握りしめ、唇を噛みしめれば、目頭が熱くなる。

何もしてやれない・・・。いや、出来る事なんて最初からない。自分の無力さは無性に腹が立つ。

「アレは、強いけど・・・めっちゃ強いんやけど、ひどく脆いところが、あるんや」

強く、逞しく、悩んでいるものにはそっと道標を指し示せるような、思慮深く優しい奴。

それでいて、自分自身の気持ちには鈍いというか、無頓着で、知らず知らずのうちに傷ついて。

見つめた床が少し歪んで見えた。

絶対に泣くものか。ウチが泣いてはいけない。

気を緩ませれば、すぐにでも零れおちそうな想いを懸命に自制した。

「なんで・・・、なんで・・・、そんなにウチは・・・」

時として、冷徹な判断を下す事も厭わないが、どこかで無理をしてる。

そういうことへの気持ちの折り合いをつけるのが一番上手そうに見えて、案外下手くそ。

だから、ほんの少しでいい。

いつも嫌というほど構ってくるんだから、こういう時にこそ皮肉でもなんでもいいから感情を示して欲しいだけなのに。

そんなの、あの男の性格を考えれば、無理なのだって十分に分っているのだけれど。

歯がゆい思いばかりが胸にしこりを作るのだ。

ひよ里はいじけた様に膝を抱え、床に転がった型抜きを人差し指で突っつきながら、はぁと深いため息をついた。息はひどく湿っていて熱かった。

その様子をしばらく黙ってみていた喜助は、ハタと思いついたように手を叩き、間の抜けた声で

「なるほど、もっとウチを頼れやぁぁぁぁってことッスね?」

ニヘラーっと笑って言った。

「いやー、愛されてるなぁ、平子さん」

その言葉に、ガバリと顔を上げ、真っ赤になって喜助の方を向き必死になってまくしたてる。

「なっ!!なんでや!なんでそうなるんや!」

そう言うんやない!と、喜助に掴みかかる。

「え?違うんスか?」

悪びれもせず、言ってのける喜助を半泣き状態でギリギリ歯ぎしりをしながら睨む。

後半の発言はさておき、前半はおおよそ当たっているから、違うと言いきれない。

まったく、この男は昔からこういう食えないやつなのだ。

「お前の、そういう底意地の悪そうな所だけはあのハゲ真子にそっくりやわ!」

吐き捨てるように罵ってやれば

「まぁ!ありがとうッス。ひよ里サン」

「褒めてへん!!!」

オホホと笑いのらりくらりとかわす。暖簾に腕押し、糠に釘。

まったく効かない様子に腹を立てるのもバカらしくなり、床に転がったままの型抜き器を拾い上げ、自分の手と一緒に綺麗に洗い、よく拭き、また無言でクッキー作りに戻った。

喜助も、流しで綺麗に手を洗い、型抜きされた星型の白い生地を、トレイの上へと黙って並べ始めた。

このように二人で作業をしていると、なんだかあの頃に戻ったみたいだなと、思った。

懐かしく、優しく、悲しい思い出。

あの頃に戻る事を望むわけではないが、この懐かしいような一時を味わうのも、悪くないと思った。

「ひよ里サン」

「なんや?」

「素直に言えばいいじゃないっスか。頼ってほしいって、みんなに」

「・・・・・・」

ひよ里は、ちらりと喜助を見上げ、アホっと呆れた顔をする。

「よう考えてみぃ。ウチはあの中で一番年下やぞ」

「ああ・・・」

「ほんで、腐ってもみんな隊長や副隊長を務めてたんや。思うことあっても、ウチには絶対言わへん」

「そりゃ・・・、まぁ、そうッスね」

言われて納得をする。

「せやから、まぁ、ウチが思うたことズケズケ言えるんやけどな」

ひよ里は自嘲した。

そんな彼女を見て喜助は、フフと笑い「アタシは・・・」そう言いながら、身をかがめて覗き込み

「ひよ里さんの方が皆さんよりうんと大人だなって思ってるんスけどね」

にっこりと、恥ずかしげもなく言った。

急に近くなった喜助の顔にぎょっとして、思わずその鼻っ柱めがけて頭突きを喰らわせば、「ぎゃっ」っと変な悲鳴を上げてよろけた。

「ひよ里サン、酷い・・・褒めてるのに・・・」

半泣きの状態で鼻を押さえて震える男に

「アホ!顔が近すぎんねん!」

と赤らんだ顔で怒鳴る。

ひよ里の言葉に淋しげな表情を浮かべ

「顔を近づけてもいいのは平子サンだけッスかぁ」

と、嘆けば、鬼神が乗り移ったかの形相で睨まれ、彼女をおちょくり過ぎた事を理解した。

怒りのオーラを撒き散らすひよ里の横に立ちまた先ほどの作業を再開する。

黙々と布のように広げた大きな生地を星型でドンドン切り抜いていく。

トレイの上に乗りきらない星型の生地は、大き目の皿に待機させた。

それにしても、何個クッキーを彼女は作るつもりなのだろうか?

「こんなにいっぱい平子サン達に食べてもらうんスか?さすがにちょっと多くないっス?」

その問いに、少し手元を止め何やら思案した後、また動かし始めた。

そして、恥ずかしそうにブツブツと

「・・・ジン太や雨やテッサイにもやり。なんも言わんのやったら下に居る死神にもやってもええ」

迷惑やったら・・・すまん。

と、小さい声でつぶやいた。

やけに殊勝な小さな彼女に喜助は目を細めた。

「みんな、喜ぶっスよ」

彼女の小さな気遣いが嬉しかった。


チーーーンと出来上がりを知らせる音が鳴り、オーブンを開けると程よく焼けたクッキーのほんのり甘い匂いが部屋の中に広がった。

「これで最後やな。上出来、上出来」

良い色にこんがりと焼けたそれをみて、ひよ里はうんうんと満足そうに頷く。

「いやぁ、うまいもんスねぇ、ひよ里サン」

と、出来上がったクッキーを覗き込みながら喜助が褒めれば、

「アホ。今はクッキーミックスっちゅー便利なもんがあるんや。これくらい誰でもでけるわ」

褒められて恥ずかしかったのか、つい憎まれ口を叩く。

「そっスかー」

世の中便利になったもんだと、フムフムと感心した。

その、出来上がったばかりの星型のクッキーをひとつ掴み

「喜助、やる」

と言いながら、無表情でひよ里は無理やり喜助の口の中に押し込んだ。

「―――んんんんんん!!!ぁぢぃぃいいいいいいいい!!!!」

出来たてて熱々のものを口に入れられたせいで、声にならない声を上げあわてて水道水を口の中に流し込む。

普段の彼とは打って変わって慌てふためいている喜助を眺め、イヒヒと笑い声を上げる。

喜助は涙声で「火傷をした」と訴えると、

「仕返し、や。さっきーの」

ザマーミロ。と言わんばかりに、べーっと舌を出した。

そんな彼女はいつもよりも幼く見えて、まるであの頃の彼女に戻ったみいだと思った喜助は、ヒリヒリとする口元を押さえて軽く笑った。

そんな懐かしいひと時も、後わずかか。

「さて・・・と」

そう言いながら、ひよ里はスーパーの買い物袋から、新しいナイロン袋と、それよりも少し大きめのシンプルな赤色の紙袋をとりだした。

ナイロン袋の中に、パラパラと、星の形のクッキーを入れていく。

大きな皿の上に山盛りあったクッキーは半分ほどに減り、代りにひよ里が持っている袋はパンパンになった。

それを、紙袋の中に大事そうに入れた。

「後は、好きなようにすればエエから」

ぶっきら棒に言うひよ里。

「じゃぁ、後でみんなで頂きます」

「ん」

こくりと頷く。

「ほな、ウチ、みんなんとこ帰るわ」

ほななと、片手を上げた。

「待って下さい・・・」

その上げたひよ里の手をすっと喜助は握る。

「なんや?」

突然の喜助の行動にひよ里は眉を寄せる。

「・・・もう少しだけ・・・このまま・・・」

「喜助―――?」

切なげな表情を浮かべた喜助は、そっとひよ里の顔に手を添える。

見上げた男の瞳には、強く、それでいてどこか儚げな色をしていたせいか、思わず見入ってしまう。

その小さな顔に、ゆっくりと喜助は顔を近づける。

そばかすの頬のあたりに影が落ちた、その時。

「悪ふざけもたいがいにせんとあかんで?喜助」

急に頭の上から降ってきたように、聞きなれた関西弁の男の声が聞こえた。

ひよ里は吃驚して目を見開いたまま固まってしまった。

そんなひよ里をよそに、切なげな顔を、ぱっといつものヘラヘラした笑顔に瞬時に戻し、声が聞こえた方に顔を向ける。

「あらー。平子サン。彼女の貞操のピンチにやっとのご登場ッスか?長い見物でしたね」

食えぬ顔をして笑う喜助を忌々しげに睨みつけるのは、顎のラインで切りそろえられた金髪のおかっぱ頭の平子真子であった。

「アホ。そんなんとちゃうわ」

喜助にからかわれているのがわかり、真子は怒り口調になる。

「まったまたー。アタシにひよ里さん奪われちゃうぅぅって思ったくせにぃ」

「きっしょい言い方しなや。そんなんちゃう言うてんやろ!ひよ里も、ひよ里や。こない胡散臭いエロ店長の所に夜遅うまでおったら、あかん」

おやまぁ、ひどい!と言いながら、固まったままでいるひよ里の肩をそっと抱き寄せ

「ひよ里サンは、僕の副官っすよー?そして僕は隊長です。胡散臭いだなんて失礼な」

自慢げに喜助が言えば、真子は肩に留っている喜助の手を叩き落とし、固まったままのひよ里をガバリと抱きしめ

「元、やろ?元副隊長や、で、お前も元隊長や」

お前には絶対にやらんぞ!というオーラを撒き散らしながら応戦を繰り広げた。

その二人のやり取りをよそに、真っ白になった頭の中でひよ里は懸命に思考を巡らせた。

まて。

これは、どういうこっちゃ?

なんでここに、真子が居んねん。

ちゅーか、居んのを喜助も知っててんか。

そうか、それで、ちょいちょい平子平子と、真子の事を絡めて来よったんやなアイツは。

そういうことか。

二人して、ウチをからこーててんやな。


「待てや、お前ら」

沸々と湧き上がる怒りを抑えて言えば、ドスの良くきいた低い声が出た。

ひよ里の頭を抱えるように抱きしめていた真子は思わず放す。

先ほどまで言いあいしてた二人の顔に焦りの表情が浮かんだ。

「これは、どういうこっちゃ?」

ひよ里の頂点を突き抜けるような怒りは、にこやかな笑顔を称えた。

「ウチ、怒らへんからちゃーんと一から教えてもらってもええな?」

にこやかな笑顔のはずなのに、おでこに青筋が何本もたっている。

二人はその恐ろしい笑顔に戦慄を覚える。体中から嫌な汗が噴き出した。

「おい、喜助。お前んとこの副官やろ?どーにかせい」

「ちょ!今は仮面の軍勢じゃないっスか!リーダー的な平子サンがどーにかしてくださいよ」

「アホ言え!こないなったひよ里が俺の手に負えるおもてんのか!」

「負えないんスか?」

「負えるわけないやろが!!」

不毛なやり取りをする二人に、とうとう痺れを切らせたひよ里は、怒りの殺気を身にまとい、鬼の形相で二人を睨みつけた。

「おどれら、さっきからゴチャゴチャゴチャゴチャ男のくせにうっさいんじゃ!!!いわしたるからどたま揃えてそこ並び!」

地を這うようなひよ里の怒り声に、震えながら

「ちょ!ひよ里、さっき怒らん言うててんやんか?」

ご機嫌をうかがうように引きつった笑いを浮かべる真子に、ひよ里は渾身の頭突きをお見舞いし、目をクワっとかっぴらき、

「じゃっかあしいわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

と、腹の底からの怒鳴り声を上げた瞬間、浦原商店から情けない男二人の叫び声が虚しくこだました。

合掌。