秋も深まり、冬の訪れを感じさせる肌寒い北風が吹き始めた頃、平子真子はアジトである廃墟倉庫のシャッターの傍で白い花の苗をプランターに植えつけていた。本当は種から植えてやろうと考えていたのだが、今年はいろいろあって種蒔きの時期を逃してしまったのだ。 「よっしゃ、これでええやろ」 少し得意げに独り言を言ってから土で汚れた手をパンパンとこぎみ良い音をたてながら払い、よっこいしょと立ちあがる。
揺れる世界と花
五番隊舎のとある一角には日当たりがいいのに雑草だけがよく生えていて綺麗な花など一輪も咲かない場所があった。 「ギン、お前何してんねん」 「隊長サン、みてわかりませんか?水やりです」 平子が外から戻ってくるとその淋しい場所で独り水やりをしている銀髪の少年の後ろ姿を見かけた。まだ年端もいかないその少年は市丸ギンという名の同隊の席官の一人であった。 珍しいことをしよるなと思い平子は話しかけたのだが、その少年から返ってきた返事はおよそ可愛らしい子どもがするモノでは無かった。 まぁ、平子にとっては可愛らしくない子どもは他にもいて、猿のようにギャンギャン喚いては人を足蹴にするのもいるのでさほど珍しくないのだが、この市丸という少年はいつも笑顔でニコニコ笑っているのにどこか世を儚んでいて、それでいて時々妙な薄気味の悪さを感じる事さえある少年だった。 「そんなん見てたらわかるわい。そやのうてやな、なんで水をやってるんやと訊いてんねん」 「花です。花の種を植えたんですよ」 「花の種?」 「そうです」 それだけ答えると、平子に話しかけられて止めていた水やりを再開させる。手桶の中の水を柄杓で汲んでパラパラと撒く。日の光に照らされて、撒かれた水はキラキラと光りながら市丸が種を蒔いたであろう土の上へと落ちてその染みを作った。 それを見ながら顎に手を当てたまま関心気に平子はふーんと息を吐く。 「えらい可愛らしい事しよるんやなァ。お前も」 「それ、褒めてはりますの?それとも嫌みですの?」 平子の言葉にいちいち訝しげに眉を寄せる市丸。 「…褒めてんやんか。素直に訊きいな。難儀なやっちゃなァ」 面倒くさそうに長い髪を垂らした頭を掻き毟る男の姿を見てから、柄杓を桶の中に置き、その場にしゃがみ込んで濡れた土の上に人差し指をなんとなく置いた。地面を見つめたまま、市丸は喋る。 「この種、冬前くらいには白い花を咲かせるらしいんです。春まで綺麗に咲くって言うてました」 「へぇー」 「ここには花、いっこも咲きまへんやろ?なーんや淋しいな思って。勝手してすいません」 市丸の言葉に平子は目を丸める。 この少年はそれはよく隊舎内で悪戯をしてその被害に一般隊士ばかりか、あの藍染惣右介や隊長である平子もその餌食になっているのだ。いつだったか、藍染の眼鏡を他の隊士のモノとこっそり変えていて静かに怒り狂っている彼の姿を見た時は傑作であった。(どうやら藍染のお気に入りの眼鏡だったらしい) 市丸はそれでも謝りもせずに飄々と過ごしているのだからよほど肝の据わった子どもなのだろう。それも一年で真央霊術院を卒業し、尚且つ護艇十三隊に入隊と同時に席官の座についた子どもだけはあるかと平子は思うが、もう少し謙虚になってくれればいいのにとも思っていたのだ。そんな少年がどういうわけか今日はやけにめずらしく謝った。別にそんなこと怒る様なことでもなんでもないのだから謝る必要もないのだが。なんというか謝ったと言うその事に驚いたのだ。 「めずらし、お前にしてはえらい殊勝な事言うやないか」 「・・・・嫌みですか?」 「せやからちゃうて。吃驚しただけやって。お前いっつもしょーもない悪戯ばっかりしよるからなァ」 「それは子どもにやられる隊長さんが悪いんとちゃいますか?」 「お前は、ほんまにええ根性してるわ」 生意気にそう言う市丸の頭を小突いてやった。人をいじるのは好きだけれど、自分がいじられるのはあまり好きではない市丸は平子に頭を小突かれ少々ふくれっ面になる。それもすぐにいつものあの張り付いた笑顔に戻し平子に、これまた珍しくお願い事をしてきた。 「ここに花が咲いたら、乱菊に見せてやってもええですか?」 「うん?そら、かまへんけど、好きにしィ」 おおきに、隊長サン。と柔らかく笑うその少年の笑顔はやはりどこか寂しいと、平子は思った。 何をその小さな背中に背負い、何を思っているのか。訊くことは容易いだろう、しかしそれも憚られる程に市丸は何人も近寄らせない領域が確かに存在するのだ。 その少年が口にした女の子の名前、この隊舎まで見に来ることが出来るならたぶん同じ死神で、きっと特別な子なのだろう。 「なんや、お前乱菊っちゅーこがお気に入りなんか?」 「お気に入りとかそんな可愛いもんとちゃいますよ」 それが子どもの云うセリフかいと思いつつも、興味のある平子は更に訊く。 「じゃぁ、なんや?」 「誰にも言わんと約束してくれますか?」 「なんや。大袈裟やな。別にそんなん言いふらすほどオレ、口軽ぅないけど」 「藍染副隊長にもですよ」 「は?惣右介も知らん事かいな?おまえら、えらい仲よしやんか」 「そうやから言うて、何でも話してるわけとはちゃいますよ」 藍染にはよく懐いていると思っていたのでそういう類の話も少しはしているのかと思いきや、そうでもないことに平子は意外に思うも、まぁ、そんなもんかと自分を納得させた。 「ふーん。で?別に惣右介にも言わへん。そう言う類の話はした事せぇへんし。あいつと」 たいぎそうにそれだけ言うと、少年の言葉を待った。市丸は、人差し指についた土を笑顔のまましばらくぼんやりと見つめ、それからゆっくりと手を開いてからぼそっと呟いた。 「乱菊はボクが命を掛けてでも守りたいと思う唯一の子です」 「……」 「その為やったら何でもやります」 その掌を見つめ、開いたり閉じたりを繰り返しながら決意を新たにするように。 「全てが敵になっても、この手がどんだけ汚れても、たとえ地獄に落ちたってええんです」 ギンの細い色素の薄い瞳が開き平子を見据えた。とても強くて、それでいてやはり哀しい瞳だった。その強い確かな眼差しに息を呑む。 こいつもまた、何かを成し得んが為だけに死神になったやつか、と平子は思った。 その成し得たいモノが出来れば良い方向性のモノであって欲しいと願わずにはいられない。 それほどまでに、大切な子を思うからこその言葉であるならば尚更に。 市丸のその想いに同じ男として平子は答えた。 「……そうか。そないに大事か」 「……」 何を思って市丸が自分に向かって秘めた思いを告げたのかはわからない。もしかしたら、自分が言う言葉は彼にとっては見当違いも甚だしいのかもしれない。でも、なにか言わずにはいられなかった。 「それやったら、やり方は間違えたらあかんで、ギン」 市丸の横に平子もしゃがみ込み大きな手で、月の色にも似た銀色の美しい少年の髪をわしわしと撫でてやる。 「やり方間違えて、大事なモンが苦しむような事だけは、絶対に、しなや」 市丸はその言葉に何も答える事をせず、困ったように笑うだけだった 「ああ!そうや。この花咲いたら、猿柿副隊長にも見せてあげたらええやないですか?」 暫くの間ののちに急に思いだしたかのように市丸がポンと手を打った。まるで妙案だと言わんばかりに顔が輝いている。しかしその言葉に戸惑ったのは平子だ。 「はぁ?なんでそこでひよ里の名前がでてくんねん」 アホか!と吐き捨てるように言う平子は明らかに動揺しているのが手に取るようにわかった。 「あの人の刀の柄、可愛らしい模様が入ってるやないですか。絶対可愛いお花とか好きですよ」 「おまえ、よう見てんなァ。いやいや、しゃーから、なんでひよ里が…」 「隊長の思い人とちゃいますの?」 にんまりと市丸は意地わるげな笑みを浮かべる。 「ちゃうわ!なんであんな小猿にオレが!ちゃうちゃう。ありえへん!」 「えー?でも、隊長サン、あのお人が『ハゲ真子!』とか言うてる姿みていっつも嬉しそうな顔してはりますよ?」 「!!してへん!」 「してますって。たまにあの人が無言で通り過ぎた時なんかこの世の終わりみたいな顔して」 「しーてーへーんっ!!!」 真っ赤な顔をして意地になって否定する平子はまるで隊長らしくなくてとても可笑しかった。 「認められへんのも分らんでもないですよ。はたから見ればちょっと…あれやし」 「アレってなんやねん!アレって!」 「そないなこと、ボクの口からはよう言えやしまへんわァ」 ケタケタとめずらしく子どもらしい笑い方をしたギンに平子は安堵した。一頻り笑い転げた後、市丸は立ちあがって死覇装の袴の裾についてしまった土を払いながら 「そうそう、これ、一度植えてちゃんと花を付けたら次からはそのこぼれ種で毎年咲くらしいですわ」 「へぇー、そうなんかい」 「毎年毎年、ボクが撒いた証が残るんです。ええでしょ?」 少年は悪戯っぽく微笑む。 「あ、でもボクが種蒔きしたこと乱菊には内緒にしてくださいね、隊長サン」 また、内緒かいな。と眉を上げると、 「ボク、照れ屋サンやから言わんでもらえると助かるんやけどなァ」 「どの口が言うとンじゃ、ボケ」 市丸の言葉に些か呆れもしたが、まぁ自分の好きな子にこういうのがバレルのも男として照れてしまうのもわかるので、結局わかったと返事をした。 その言葉にほっと安心したように肩を撫でおろしたかと思うと、いつもの調子に戻った市丸が 「ほな、後片付けお願いします。平子隊長」 特に悪びれた様子も無く手桶と柄杓をずいと平子に押し付け、にっこりと笑い、じゃ、手を振る。 平子はぎょっとして慌てて立ち上がり 「はぁ?!ちょう待てギン!!」 思わず市丸の手を掴もうと腕を伸ばした瞬間に瞬歩で姿を消されてしまった。 あまりの素早さにキツネに抓まれたような面持ちで茫然と立ち尽くす。
その残念な思いを乗せた言葉は、虚しく青い空に溶けていった。
廻る、廻る、時も、世界も、昔も、今も変わらず廻り続ける。 その未来さえも巻き込んで。 哀しみも、憎しみも、喜びも、その総てを在りのままに優しく包んで、廻り続ける。
「おい、ハゲ、水持ってきたったぞ」 倉庫の中から頭の高い位置で平子よりも少しだけ褪せた金髪を二つに括っている少女のような風貌の女の子がひょっこりと顔を覗かせた。彼女が持っているのは水の入ったジョウロで、どうやら平子にお願いされて水を汲んできたようだった。 ずいっと乱暴に平子の前にジョウロを突き出すと、平子はいつも通りのだるそうな顔つきでそれを受け取る。 「おーすまんな、ひよ里。もうええからはよ中は入れ。今日はちぃと寒いし、身体に障るで」 しかし、いつものように、「ハゲ」のキーワードに反応しないばかりか妙に優しい言葉を掛けられ、ひよ里と呼ばれた女の子は思わずきょとんとして、そのあとそばかすのある頬を少し赤らめた。 ほんの少し照れた彼女はプイッとそっぽを向いてから、 「こんくらい世話ないわ。っちゅーか、ハゲに反応せぇへんのかいな、ボケ」 「いちいち反応するか、ボケ。お前ようやっとベッドから起きられるようになったばっかやぞ。無理すんな言うてんねん。大人しいにせぇ」 平子の言葉に応戦するも、更にいたわりの言葉を掛けられる。このような言葉にあまり馴れていない彼女は更に可愛げのない反応で鼻をならしながら平子に悪態をつく。 「ハン。そないうちかて柔やないわ、薄らハゲ」 「う・・・薄らハゲて・・・ただのハゲより可哀相な感じが漂ってるやないか」 「よし!」 「よし!、やないわ」 ようやく悪口(?)に平子が反応した為、彼女はやはりうちらはこうでないとな、と清々しい笑顔で親指を彼に向けてつきたてる。 その様子になんでやねんと肩を落とす平子であった。 挨拶代わりにそのやり取りをした後、ひよ里は屈んでプランターに植えられたばかりの花を指先でツンツン突きながら平子に訊いた。 「で、なんでいきなり花なんぞ植えてんねん」 「んー?この花見覚えないか?」 「覚えてるわ。お前ンとこの隊で春になったら一面綺麗に咲きよった花やろ?」 「せや、」 こっくり頷く平子の顔を眉を寄せたまま暫らく見た後に、もしかしてと思いながら口を開いた。 「・・・手向け花の類か?」 誰の為かとは彼らの間では言わずもがな、なのだろう。 その言葉を訊いた平子は即座に否定した。 「ちゃうわ、それやったらわざわざ植えるかい。それにあいつにはやっぱり腸煮えくりかえってんねん、今でも、な」 けれど、その顔は腹を立ててるやつの顔じゃないとひよ里は思った。 アホやな、と小さくぼやいた後 「せやけど、・・・憎みきれへん、そやろ?」 「・・・ッ。・・・すまんな、ひよ里」 図星を突かれたようで困った顔をする平子に対し、それを全部悟っているのか彼女はどこか悲しげだった。 「別に。うち生きてるし、それにあいつはああいう風にしか生きられへんかった憐れな奴やろ」 それだけ言うとひよ里は、平子からジョウロを奪い取ってプランターに植えられたばかりの花に水をやり始めた。
あの時の自分が言った言葉は、少年の心に少しでも届いたのだろうか。 いや、届いたところで恐らく彼自身が決めた決め事を覆すことはきっとなかったのだろう。
――ならば、せめて。
今、不器用な小さな少年だった彼が植えた種の子孫たちはあの場所で芽を出し、花を付け、実を結び、彼の残した証を絶やさずにいてくれているのだろうか。 誰かを笑顔にしているだろうか。 彼が命を掛けても護りたかったあの少女を笑顔にしているだろうか。 願わくはそうであって欲しいと、平子は思う。
自分たちと同じく、また、哀しい運命に翻弄されてしまった、彼の為にも――。 お題提供 ロメア 様 |