夜の闇は濃くなるばかり




春先に降る雨は身体の芯が冷える程に冷たかった。サラサラと音も無く落ちる雨粒が、髪を、頬を、着物を濡らす。雫が垂れる程にぐっしょりと濡れた死覇装は身体に張り付いて重くて気持ちが悪い。それなのに傘もさすこともせずにぶらぶらと夢遊病者のように夜道を歩いて、気がつけば十二番隊舎の前に立っていた。何をしているんや、自分は。と真子は思い、踵を返してその場から立ち去ろうとした時に、背後から名を呼ばれた。

「何をしてんねん!真子。ずぶ濡れやないか!アホか!」

声がした方を振り向くと、目の前の隊舎の隊番が刻まれた腕章を腕に身に付けた女の子が目つきの悪い眼を見開いてこちらを見ていた。普段なら挨拶がわりに拳の一つでも飛んでくる筈が、その代わりに傘を差し出された。

「いや、要らんし」

「要らんやないわ。雨降ってんのがわかってんのになんで傘差さへんねん」

「朝は雨降ってへんかったから持ってこうへんかってん」

「朝からお前はほっつき歩いてたんか!仕事は!?」

「今日は休み。久々の・・・」

「・・・ッ、さよか」

何かを察したようで目の前の女の子は口ごもる。少々気まずい空気が流れるが、話題を切り替えるように真子が喋る。

「お前はこんな時間まで何しててん?」

辺りはすでに暗くなっていて、一人で夜道を歩くには些か寂しい時間帯であった。仕事、では無いだろう。

「飯や。白とリサと、飯食うてたんや」

さして興味もなさげにふうん、と頷くと、押し付けるように彼女が持っていた傘を渡される。もう一度要らないと押し返そうとしたら、「ええから、とりあえず差せ」とどやされ、今更さした所で何も変わらない気もしたが彼女の覇気に負けて差すことにした。

「どないすんねん。うちの隊に用があるんやったらあるではよ中は入れ。そうやなかったらとっとと帰れ」

単刀直入に言われ、真子は戸惑った。自分の隊に戻りたいと、どうしても思えなかった。しかし、別に十二番隊に用があるわけじゃない。どうして此処に足が向いてしまったのかもわからない。もしかしたら、自分は、

「ひよ里・・・」

 無意識のうちに自分の胸よりも低い位置に頭がある女の子の肩口に手を掛けていた。

 

 

 最初見た時、ああ、こいつは危険やな。そう感じた。

 藍染惣右介と呼ばれる温和そうな青年は、皆に慕われていて、常に輪の中心にいるような人物だった。人辺りの良さそうな彼の事をどうして危険だと感じたのかは真子も解からない。野生の感のようなモノが働いた、としか言いようがないだろう。すぐに自分の隊の副官へと取りたてた。周囲からは真子がまるで彼にぞっこんであるかのように言われたが、無視を決め込んでいるとすぐにそんな話も無くなった。

 藍染は非常に忠実な副官となった。誰もが将来の隊長候補として彼を見ただろう、否、実際に何事も無ければいずれ隊長となるだろう。けれど、忠実に藍染が執務をこなせばこなす程に、信用が出来なかった。信用が出来ない相手をどうして副官に選んでしまったのか、と時々後悔する気持ちが頭を擡げたが、自分が好んで選んだ道だった。仕方がない。

『平子隊長』

 そう呼ぶ男の声が白々しく聞こえて仕方が無かった。




手をひかれてついた先は、ひよ里の部屋だった。

副隊長であるひよ里には彼女用、というか副隊長用の個室が当てられていた。隊長用としてあてがわれた部屋の設えとは少し違うその場所には、桃色の花柄の布を掛けられた鏡台があったり、可愛らしい人形があったりと、粗暴な彼女にしてはわりと女の子らしい部屋となっていた。初めてきたひよ里の部屋をもの珍しげにキョロキョロと見ていたら、乱暴に手ぬぐいが投げられた。身体を拭け、ということだろう。とりあえず真子は頭や顔を拭き始めた。その様子を見て、ひよ里は世話が焼けると呆れた調子で言う。

「喜助んとこ行って、なんぞ着るもん借りてくるよって、そこで待っとき」

部屋から出ていこうとするひよ里の手を思わず掴んだ。それに驚いて目を剥く彼女をそのまま畳へと押し倒す。

「しん、じ?」

驚きと恐怖の混じったような声色が雨音しか聞こえない静かな部屋に落ちるように響いた。




危険だと認知したモノを副官に選んで何年が過ぎただろうか。

『市丸ギンいいます。よろしゅうお願いします。平子隊長』

 ある日、優秀な人材なんです、と藍染が自ら連れてきた少年が市丸ギンだった。まだ幼さを残す子どもだったが、張り付いたような笑顔のままのこの少年に何か得体のしれないものを感じたのを真子はよく覚えている。

 こいつも、あかんな。直感で思った。

 第一に、あの男が自ら連れてきた者だ。何もないとはとてもではないが思えなかった。それが例え子どもだとしても。必然的に平子は嵐のようなモノを同時に二つ抱え込むことになった。


真子には思慮深く信用の置ける者が三席に居た。あれやこれやと言わなくても、察して動いてくれる良い人材だった。藍染がいなければ今頃この男が恐らく次席として一緒に隊を盛り立てていただろう。三席に特に何かを言っていた訳ではないが、市丸が入隊して数日の頃だったか、真子は彼に呼びとめられた。

『あの子ども、少し気になります』

 人気のない場所に移動し、それでもなお、周囲に目を配らせながら耳打ちをする。やはりこいつもそう思ったか、と内心思いながら、

『そうか、ちょう、気に掛けて見たってくれるか?』

『ええ、わかりました』

 この件は極秘で、と付け加えると三席は口の端をあげて、それもわかっています、という様に頷いてみせた。頼もしい彼の後ろ姿を見送る。
 三席を見たのはこの日が最後となった。




「や、あぁッ」

悲鳴とも嬌声ともとれるひよ里の高い声。掻き抱くようにして、小さな胸に顔を埋め、しゃぶり、無心になってその細い小さな身体の中心に己をうち付ける。

 何度も、何度も、角度を変え、犯す。犯し続ける。

 内腿から、下腹部へと堪るドロドロとした溶岩のような熱い醜い欲が爆ぜてしまうのを目を閉じ、歯を食いしばり堪える。

「し、んじ、あ、ぁぁッ、・・・も、もう、」

 限界だと訴えられ、真子は更に律動を速めた。攻め立てられるように突かれひよ里は一層高い声で啼きながらしがみ付くようにして、真子の背中に爪をたてる。次第に小さな身体が硬直していき、男の腕の中の彼女は絶頂を迎えた。同時に、真子も固く閉じた瞼の裏で赤い火花が散った。




 三席と会話をしたその日の夜、真子は十二番隊の隊主である喜助と彼の部屋で酒を酌み交わしていた。他愛もない話しに花を咲かせ、その時は気がかりな事も頭の隅にやりダラダラと酒呷る。翌日が休みであることがより真子の酒をすすめていた。

 何の話をしていた時だったかもう覚えていないが、とにかく笑えるような話だったと思う。その最中に空気を壊す足音が聞えたかと思うと、乱暴に障子が開け放たれた。そこには息を切らしたひよ里が険しい顔で平子を睨んでいた。その様子に喜助と二人して眉を寄せた。

『はよ自分とこの隊に戻れ、真子』

 切迫したようなひよ里の声に、嫌な予感が脳裏をかすめる。潤っているはずの口内がカラカラに乾いていく。次いで出たひよ里の言葉に自分の耳を疑った。

『お前ンとこの三席が、―――殺された』

 たっ、と御猪口が手から滑り落ち弧を描くようにして転がり止まる。中の酒が同じようにして零れて畳に染みを作った。それにハッとして、すぐに拾い上げようと動かした手を喜助に制止され、いいから戻れ、と言わんばかりのその対応に、すぐに冷静を取り戻した。喜助に無言で済まないというように視線を投げると、喜助は瞼を伏せて真子のそれに応えた。

それを見て、音もなく立ち上がる。酔いは完全にさめていた。ふと、気遣わしげに見上げてくるひよ里に気が付き、彼女の頭を一度ポンと軽くたたいてから、瞬歩でその場を後にした。


 隊に戻るといつもならすでに静まり返っている時間にもかかわらず、隊舎内は騒然としていた。

 藍染が上手く抑えていたようで必要以上の混乱は生じていなかったけれど、皆一様に動揺を隠し切れていない。藍染もそんな様子だった。それが一番胡散臭いと感じるのは自分があまりにも彼に拘り過ぎているせいなのか、本当にそう思うのかイマイチ区別が出来ないでいた。ざわつく隊士達から少し距離を置くようにして、席官の位を頂いている銀髪の少年の姿もあった。妙に落ち着きはらっていてその場に居るには似つかわしくないような雰囲気を見に纏っていた。否、真子の目にはそう映るだけで他のモノには彼がただ気落ちしているようにしか見えないだろう。得も言われぬ違和感が真子を支配した。

 真子の視線に気がついた市丸は伺う様にこちらを見る。

 厭な汗が、こめかみを伝う。背筋が凍るような感覚を覚えた。

 何かを振り払う様にして頭を振ると、真子は隊士たちにとりあえず部屋に戻る様に促すと、後ろ髪を引かれる様にして隊士たちはその場から離れた。市丸も同じように出ていくのを見てから、藍染に事の成り行きを訊いた。

 三席は何故か五番隊がよく演習場として使う広場で、腹を裂かれうつ伏せに倒れた状態で、たまたま見回り中の同隊の平隊士によって発見されたらしい。

 すぐに四番隊に運んだが息を引き取った後で亡骸はまだ四番隊舎に置かれているままで、動揺をした隊士がすぐに上官に報告をあげるのを失念していた為、真子に伝達するのが遅れたそうだ。

『僕も、九番隊の東仙君と藤堂君とギンで食事を外でとっていまして、すぐに対応が出来ませんでした。申し訳ありません、平子隊長』

 神妙な面持ちで頭を下げる藍染に、言葉を詰まらせる。

『彼の傷は恐らく刀傷、斬魄刀によるものらしく首謀者は死神の線が濃いとのことです。二番隊もすでに秘密裏に動いているようです』

『そうか』

『どうされますか?四番隊に向かわれますか?』

『行く。支度せぇ、惣右介』

『かしこまりました』

藍染も誰もいなくなった部屋に一人残ると、誰にもぶつけようもない苛立ちを抑える様にして握った拳を柱にぶつけた。


 四番隊舎の一室に安置所のような場所がある。そこに三席の遺体が静かに横たわっていた。顔にかかった白い布をとると、わりと安らかそうに眠っている三席の顔があって、その死に顔が苦悶に歪んでないだけましかと思ったが、やるせない思いが湧きあがって仕方が無い。死神をしているのだからいつ何時、こういうことが起こっても仕方ないと真子も理解している。そういうものだからだ。けれど、同じ死神に殺められたかもしれないという事が真子を憤らせた。

 同じようにして顔を歪ませ、『誰が、こんなことをッ』と、藍染が呟く。声は荒げなかったが、妙に感情のこもっているその呟きが、真子にはどこか引っ掛かった。仲間を失ったのだ。その言葉に感情が籠っていて当たり前なのだ。その呟きを訊いても誰もおかしいと思わないだろう。だからこそ、真子には違和感が残るのだ。

  
  本当に、そう思っているのか?

  本当は、この件に関わっているのではないか?
  
本当は、こいつを殺ったヤツを知っているのではないのか?否、知っているだろう―――?

 そう思うのは、すべて直感でしかない。証拠が無い。藍染に問い質すことも何も出来ない。全身が総毛立つ程の憎悪を抑える。拳を握って耐える。

腸が煮えるような感情を殺し、藍染に隊舎へ戻る様に促した。

少し間を開けて真子も其処を後にする。心の中で亡骸となってしまった彼に謝罪の言葉を残しながら。

翌日は休暇であったが、休めれるはずもなく隊に出て隊士たちの士気が下がらないように努めた。二番隊の聴取には藍染が対応をしていた。三席の遺体を葬ってやれたのはそれから4日後のことだった。その間、二番隊が調査という名目で三席の遺体を預かっていたからだ。隠密起動を持ってしても三席を殺した者を補足するどころか目ぼしい人物さえ上がってこなかった。

その2日後、同隊の末端の平隊士のうち一人が『僕が殺しました』と書き置きを残し行方をくらませたが、その日のうちに捕縛され翌日極刑に決まった。捕縛された隊士に合わせてくれと四十六室に申し出たが、それは叶うことが無かった。

そうしてこの件は無事に解決という一途を辿った。あまりに出来過ぎている。

極刑となってしまったあの隊士は本当にそうだったのか、どうしても腑に落ちないままでいる。もしかしたら、という言葉が頭に張り付いて離れない。綺麗に収まり過ぎる件に、更に藍染への不信感が募る、というかある種の確信めいたものを感じていた。

と、同時に、三席への罪悪感が真子の胸の内を支配していた。巻き込まなくても良い筈の人物を巻き込んでしまった。あの時、余計な事に首を突っ込まないように言えば、もしかしたら彼は死ななくてもすんだかもしれないのに。

こんなはずではなかったのに、と後悔ばかりが真子の背中を追い掛けてくるようだった。




「こういうことは、その、前もって言うてくれへんか?」

乱れた髪はそのままにひよ里は真子に背を向けた状態で、肌襦袢に手を掛け、だるそうに腕を通していた。この子とこういう関係になって暫くになるが、今みたいな抱き方はしたことが無かった。あんな、突然、まるで襲うように無理に組み敷いて・・・。
 すまん、と細い腕を掴むと僅かに震えているのがわかり、愕然とした。
最低だな、と真子は自嘲する。この子を感情のはけ口のように使ったようなものだった。

酷い後味の悪さを憶え、こんなことなら殴られた方がマシだとも考えるが、そこまでこの子に押し付けるのはいよいよ最低な気がした。

深いため息をつくと、それにひよ里は顔を顰める。

「まだ、三席のこと引き摺ってんのか?」

そう言われれば、そういう気もするし、違うとも思う。伺うようにひよ里に言われ、言葉に迷った。どう、答えればいいのかがわからない。ただ、

「あれを、」

 一つだけ確かだと思うことは、

「殺したのは、オレのようなもんや」

「は?何を言うて・・・ッ」

卑屈になっているとかそういうのではなく、本当にそう思っている。

直接手を下したわけじゃない。けれど、巻き込んでしまった時点で間接的にでも殺したようなものだ。あの男を、藍染を囲った時から自分ひとりの腹の内で収めておくべきだった。誰にも悟られないようにしなければいけなかった。

「いったい、何があったんや?」

沈黙したままでいる真子に不安を感じたのか、ひよ里が怖々と手を伸ばし、真子の長い髪に触れる。少し、困惑しているようだった、無理もないだろう。あんな物騒な事を言った後なら尚更だ。けれど、これ以上は言えない。言うべきではないと、思う。

「真子―――?」

それに返事をする代わりに、ひよ里の胸に頭を預けるして抱きしめた。目を瞑り、ひよ里の少し早い鼓動に耳をすませる。

真子の様子に少し迷ったようにひよ里は手を宙でとめたままいたが、やがてゆっくりとその手を真子の頭の上に置いた。


夜の闇が、覆い隠す。底の見えない沼に沈んでいくような気がした。

抗えば抗う程に、闇が絡みついてくる。

すでに抜け出せない場所まで来ている事を、真子は悟るしかなかった。


お題提供 
序曲 様



時間軸的に過去篇110年前の子ギンが三席をアレしちゃうらへんです。若干ねつ造ぎみになりましたが、平子が深みにはまっていっている様がわかればいいかなと。。2012.02.02