ほしかったものはひとつ ひよ里と平子の関係を表す言葉は沢山ある。 喧嘩仲間。親しい友人。腐れ縁。他隊の隊長と副隊長。 身長差と、西訛りの喋り方と髪の色。取っ組み合いの喧嘩なんかしていれば兄妹と間違えられることもよくあった。 仲が良いとは言われていたが、恋仲と思われたことは一度もなかった。 恋だの愛だの、好きだ嫌いだなんか考えたことは無かったし、どうでもよかった。ただ、平子がひよ里の傍に居ることは呼吸をするみたいに当たり前で、特別な存在であることは確かだった。 何でも言い合える距離感はとても心地良くて、今のままの関係が壊れることなく続けばいいと思っていた。 「あほやな、うち」 朧月がぼんやりと照らす五番隊舎までの道のりをひとり歩きながら、ひよ里は諦めたように自嘲する。 平子を信じて疑わなかった自分は馬鹿だった。ひよ里は己の浅はかさを呪う。 何すんねんひよ里。痛いやろが。 うるさいわ。こっちの方が痛いんじゃ、ハゲ。 どのくらい前のことだったかひよ里はもう忘れてしまったが、最初はいつもの取っ組み合いの喧嘩をしていた、はずだった。 違和感を覚え始めたのは途中から。平子が身体の上に圧し掛かかってくる。首筋に顔を埋められ、大きな手が震える身体をまさぐり始める。それでも悪い冗談だと思っていた。こいつがそんなことするはずが無いと、信用していたのだ。 抵抗は無駄だった。暴れるものだから頬を張られた。押さえつけられ、帯紐で手首を縛られた。着ている物を全て剥ぎ取られ、ようやく自分の身の上に起こっていることを自覚する。 いやや。やめて。 悲鳴のような声をだし、許しを請うた。 今ならまだ間に合う。何事もなかったようにまたいつもの二人に戻れる。だからやめて。 けれど、ひよ里の悲痛な思いはあっさりと無視された。 いつもそこにある変わらない日常のような、かけがえのないものを平子はいとも簡単に壊し、踏みにじった。裏切られたのだと思った。 なんで。なんで、こんなこと。 身体の痛みと、屈辱でひよ里は心の中をぐちゃぐちゃにしながら訴える。平子は冷めた目で見降ろした。 ――お前のすべてが気に入らん。 だから全部めちゃくちゃにしてやると、ひよ里を犯しながら嘲笑った。 行為は一度きりでは無かった。 みんなの前では相変わらず、言い合いや取っ組み合いの喧嘩をしていたが、夜になれば呼び出され、犯され続けた。ひよ里はその度に絶望する。 男は飴と鞭を使い分けるように、絶望した分だけひよ里に優しくするようになった。心の中はますます掻き乱される。 めちゃくちゃに犯した後に抱きしめ、酷いことを散々言った後、慰めの言葉をかける。そんなことを繰り返していると、だんだんと自分がいったい何されているのかわからなくなっていく。境界線がゆがみ、頭が麻痺したように、考えることを放棄するようになっていった。 「言うた通りにするから、今日ははよ帰して欲しい」 心許なくてひよ里は汗ばんだ手で襦袢を力いっぱい握りしめた。 「へぇ? そりゃなんでや」 「そんなもん、仕事に決まってるやろ。頼まれてんねん。早く出勤してほしいって、せやから」 最後まで喋り終わる前に、平子に頬を掴まれた。 「今日はようしゃべるなぁ? この口」 吊り上げるようにして顔を持ち上げられているせいで、喉が圧迫されるのかひよ里は息苦しさに顔を歪める。なんとか逃れたくて顔を振ろうとしてみたが、掴まれた手の力の方が強くて抗うことさえ出来なかった。眦に涙が滲む。 「やかましい。黙っとけや」 「やッ……!」 ぼろ雑巾を捨てるように畳の上に落とされた。解放されたと思ったら、息も整わないうちに袴を留めている帯紐を口枷代わりに宛がわれた。頭の後ろできつく結ばれ喋ることもできない。 「なんや、泣かんのか」 つまらんな。壊れたおもちゃに語りかけるみたいに、平子は呟いた。 泣くものかと。絶対に泣いてなどやるものかと、八重歯が食い込むほど唇を噛みしめる。泣いて叫んで抗っても、この男はやめてくれない。それどころか、泣いているひよ里を見て下衆な笑いを浮かべるくせに。 成長途中みたいなこの身体は、まったく女らしさの欠片もない。 胸なんか白い肌に桜色の突起がついているだけで、殆ど平らで柔らかくもない。骨盤も広がっていない。こんな少年のような身体を好き勝手に弄りまわして何が良いのかわからない。否、別に良いとも思っていないのかもしれない。めちゃくちゃにさえすることが出来れば平子はそれで満足なんだろう。 ひよ里が着物をすべて脱ぐと平子は畳を指差し、座って脚を広げるように命令した。 言われた通りに平子の前に座って、脚を広げた。恥辱感に苛まれる。 「もっとや」 嫌だと思っているのに、自分の意思に反して身体は平子のいいなりだった。腹の底の方に熱が溜まっていく感じがする。 言われるがまま脚を開いたひよ里を、そのまましばらく上から下まで舐めるように見てから、平子はいきなり胸の中心の突起をぎゅっと力任せに抓りあげた。強い刺激でひよ里の小さな身体が跳ね上がる。 「く、うぅ……」 反応を確かめるように何度も同じことを繰り返す。ジクジクと疼くような痛みに、甘いものが混じる。こんなことをされているのに感じてしまう自分の身体はなんて醜いのだろう。口に当てられた布を通してくぐもった熱い息が漏れた。 「やらしいのう。ガキみたいな身体しとるくせに、こんなんで気持ち良うなって、×××ひくつかせて」 「ん、うんん」 ニタニタと冷笑する平子は、手に持っていた棒でひよ里の体の線をなぞりはじめた。火照る身体の上を冷たい棒が滑って行く。そのむず痒いような感覚に体が勝手に反応してしまう。 「恥ずかしいか?」 頭を縦に振ると、ほうか。と平子は目を細めた。 「ほな、その眼も隠してやるわ。そしたら恥ずかしくないやろ」
憎むには圧倒的に何もかもが足りなかった。優しい思い出の方が多すぎた。 真っ暗な闇の中で息遣いだけが聞こえる。目が見えないと神経はより研ぎ澄まされ、感覚はより鮮明になる。 「ん、ふぅぅ」 平子の髪の毛は男のくせに長いから、覆いかぶさるとひよ里の身体をサラサラと撫でる。舌と指が、身体を這う。男の長い指は敏感な部分を撫で摩り、脚の間からは温かい液体が溢れる。体液を舐めとる卑猥な音がひよ里の耳を侵す。まるで心を蝕むように甘い快楽が体を襲う。 (いやや) いつも愛撫ともいえないような愛撫しかしないのに、どうしてだか優しかった。 落とされるくちづけも、触れる指先も悲しくなるほど優しい。身体の隙間を埋めるように抱きしめて、身体を揺さぶる。 ひよ里。 耳元で掠れた声で囁かれた。 (いやや。こんなのは、いや) 勘違いを起こしそうな頭を振って平子の腕から逃れるように身を捩る。覆いかぶさる身体をどけようと腕を伸ばすと、掴まれ掌にくちづけられた。振りほどくことが出来ない。そればかりか、自らその手を握りしめてしまう。 どうにかなってしまいそうだ。頭も。身体も。心も。何もかも。 これまで我慢していた涙が零れた。実際には目に当てられた布に、涙は溢れてもすぐに吸い取られてしまったが、一度堰を切ってしまったものは簡単には止まらず、とうとう声を出して泣いた。 なんて無様だろう。 なんて惨めなのだろう。 これは気持ちを無視した一方的な行為のはずなのだ。優しく触れる指も唇も、そんなものは嘘で、動揺したひよ里を見て楽しんでいるのだ。それなのに、嫌になるどころか、これがずっと続いてほしいと願うだなんて。 泣きじゃくるうちを見てあいつは笑っているのだろう。馬鹿な女だと、蔑んだ目で見ているのだろう。そうであってほしいと思っていた。 少しして身体が離れた。平子が達した様子は感じ取れなかった。 涙と唾液でぐしょぐしょに濡れた布を取り除かれると、さっきまでとさほど変わらない暗闇が広がっていた。違ったのは平子の姿が目で見えることだった。 きっと嘲笑っているだろうと思っていたのに暗がりに見た平子の顔は、今にも泣きだしてしまうんじゃないかと思うくらい顔を歪めて座り込んでいた。頭を殴られたような気がした。意味がわからない。 「なんでお前が、そんな顔すんねん」 どうして犯された自分よりも、犯したこいつの方がつらそうにするのか。 まだ止まらない涙を手の甲で必死に拭いながらひよ里が睨みつけると、子供が飽きた玩具を捨ててしまうように平子はとても簡単に言った。 「出て行け」 ひよ里のことなど見ようともしなかった。 腹が立った。すぐ傍にあった自分の着物を投げつけると、平子に当たって力なく落ちていく。手元に何もなくなると、今度は素手で平子を殴った。倒れたところを馬乗りになってさらに殴る。何度殴ろうとも抵抗一つしない平子が余計に腹が立つ。 酷いことしたくせに。 やめてと言ってもやめてくれなかったくせに。 傷つけたくせに。 何もかもめちゃくちゃにしたのに、それでも飽き足らないのか。 簡単に捨ててしまえるほど自分はどうでもいい存在だったのか。 もう、うちのことはどうでもいいのか。 だったら。 こんなやつ、死んでしまえばいい。 全部壊れてしまえ。 上下する喉仏が目に入った。静かにそこに手を這わせ、力をじわじわと入れていく。ぐぅっ、とカエルがひしゃげたような平子の呻き声が聞こえた。あと少しだ。あと少し力を加えれば平子がもがき苦しむ姿が見えるはずだ。そしてやがて息絶える。一思いにやってしまえばいい――それなのに、もうこれ以上力が入らなかった。 喉を押さえつけている手が震えはじめる。 「なんで、や」 無意識のうちに言葉が零れた。首の圧迫から解放された平子はひよ里の下で急に肺に流れ込んできた空気に喉を詰まらせ激しく咳き込んでいる。痙攣を起こしたように震える自分の掌と、必死に呼吸を繰り返す平子を交互に見つめ、今度は意識して自らに問いかける。 「なんで、できない……」 どうして。どうして。どうして。 自問自答を繰り返す。 あいつのことなんか嫌いだ。憎らしい。死んじゃえばいい。 あんなことをしたくせに、今更突き放すようなことを言うあいつなんか。 なのに、なんで。 ――ああ、そうか。 何度も考えて苦しみながら導き出した答えに、ひよ里は愕然とした。そして、気を違えたように高らかに笑う。平子はその様子を呆然と見ていた。 こいつのことが好きなんだ。酷いやつなのに、酷いことされたのに、それでも。 それなら、殺すことなんかできない。 嫌いになることすら、叶わない――――。 「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ」 笑い声はやがて泣き声にかわり、崩れ落ちるひよ里を、男の腕が受け止めた。
「あほやな。あんなんで死ぬわけないやろ」
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