食シ愛 苺よりも。 クリームよりも。 マシュマロよりも。 もっと甘くて。 もっと優しくて。 もっと幸せになれること。 それは。 今日は羅武と白の提案で遊園地に遊びに行くことになっていた。オレは前の日遅くまで浦原喜助と飲んでいたおかげで、遊園地に行くのが面倒になってしまい、仲間だけでいってもらうことにした。朝は起きずにさっきまで眠っていた。ふと目が覚めて、もう一度寝てしまおうかと布団の中でぼんやりとしていると、誰もいないはずなのに、カチャカチャという物音が聞こえた。ついでに甘い匂いが漂ってる。どうやら誰かいるらしい。寝間着から着替えて顔を洗うと、匂いに誘われるようにダイニングまで足を滑らせた。 やっぱり匂いの元はここからで、ダイニングの中央に置かれたテーブルには、できたてのホットケーキがあった。ピンク色の大きめのお皿にのった3段重ねのホットケーキはまるで写真に出てくるような綺麗な焼き色で、溶けかけのバターとその上にかけられた、とろりと垂れるメープルシロップが食欲をそそった。縦半分に切られた苺とホイップクリームが周りを彩るように飾られている。そのお皿の端っこに引っ掛けるように置かれた銀色のフォークが、ダイニングの出窓から入り込んだ日の光に反射してきらりと光っていた。 「うまそやな」 締めすぎたネクタイを緩めつつ、このホットケーキを作ったであろう流し台の前に居る女の子に話しかけた。いつもの不機嫌そうな顔がこちらを向く。 「ハゲにはやらんぞ」 「まだ何もいうてへんやんけ。ひよ里」 おはようさんと言えば、もう昼やと返される。確かにもうお天道さんも高い位置にあるが。 ひよこ頭の猿柿サンは本日も素っ気ない。 ひよ里と世間でいうところの恋人同士になって暫くになる。 もうお互いの身体の隅々まで知り尽くす仲だというのに、仲間の前でも、ふたりきりの時でも彼女は淡白だ。とても素っ気ない。もともと家族みたいにずっとそばにいたのと、オレが半ば強引に押し切る形で無理やり付き合い始めたせいか、普通の恋人同士の初々しさは最初から無かった。もちろんイチャイチャというのも無い。オレとしては多少イチャイチャしてみたいと思うが、ひよ里はそういうのが苦手なのがわかるから、あえてしない。ようは嫌われたくない一心なのだけど、かっこ悪いのでそんな素振りはできるだけ見せないようにしている。 「朝からみんな遊園地、行ってもうたやろ? 昼やし、腹減ったし」 せやから作ったと言って、ひよ里は泡立て器を洗い始める。 「お土産、リサたちに頼んだし、ええねん。別に」 「ふうん」 「それより、あんた夜遅うまで喜助と飲んでたんやろ? 酒残ってへんのか?」 「おかげさんで。なんや、心配してくれてんのか」 珍しいこともあるもんやなァ、と頭をポンポン触ると心配してへんわと鬱陶しそうに頭を振った。彼女らしい仕草に苦笑いして、もう一度テーブルの上のホットケーキを見る。オレもおなか減ったし食べてもええやろか? さり気なく人差し指を生クリームに伸ばそうとしたところで、察しの良いひよ里の怒声が飛んできた。 「食うたらあかんのか」 「あかんわ」 「ええやんけ。ケチやな」 「うちがひとりで全部食べんねん」 「ひとりで食うたら太るで」 「なんやて?」 振り返ったひよ里の手には果物ナイフが握られていた。 うそです。冗談です。何も無いです。黙ったまま刃先をこっちに向けんでください。そしてできればはよしまってください。たのんます。 うっかり滑らせた自分の口を呪いつつ、平謝りすると舌打ちと鼻をならす音が聞こえた。 「欲しいんやったらそれに似合う分だけの労働しぃ。等価交換や、等価交換」 ただではやらんと睨まれて、仕方なくインスタントコーヒーを入れることにした。 ポットの中にお湯があることを確認してから、カップをとりに流し台の横にある食器籠の前に立つ。必然的に彼女の横に並ぶことになった。踏み台の上に乗っているのに黄色い頭はオレの目線よりも下にあった。目当てのカップに手をかけながら視線を横に動かす。ジャージの上着を捲りあげた先からは細くて白い腕が伸びていた。小さな手は手際よくこまごまとしたものを洗っている。こんな小さな手でよくあんな刀持てるなと、改めて感心した。 「ひよ里、コーヒーいるやろ?」 そばかすが散った頬をこちらに向けたままひよ里は頷く。 「牛乳とお砂糖いっぱいやったらいる」 「ホットケーキとか甘いん食べるんやったら、甘さ控えめの方がええんちゃう? 胃にもたれへんか?」 「苦いのはいやや」 「ガキやの」 大きな色素の薄い瞳がぎょろり動く。 「やらんぞ」 「へぇへぇ」 あまり言うとお預けをくらうので、二人分のカップを手に取るといそいそと彼女から離れた。コーヒーの粉をカップの中に入れてお湯を注ぐ。自分用にはブラックで。ひよ里の分はうすめにつくってご希望通り牛乳をたっぷり。砂糖のスティックを2本ほど入れた。ついでに棚にあったマシュマロを浮かべると、ひよ里の好きそうな感じになった。ゆらゆら湯気を登らせる白茶色の液体に触れたマシュマロは、じわじわ溶けていく。 「へぇ」 気のきいたことするんやな、とでも言いたげな顔をしてひよ里がこちらをみていた。もう洗いものは終わったらしく、流しに備え付けられているタオルでゴシゴシと手を拭いて、 「しゃーない。食わしたるわ」 ひよ里はいつも座る椅子にさっさと腰をかけた。 「なぁ。これやったら食いにくうない?」 「べつに」 「いや、オレも欲しいし、もう一枚皿出してはんぶんこしてもええやろ?」 「アホか。洗いモン増えるやろが。」 そりゃ、そうやけど。 「ほしたら、フォーク……、」 「フォークも」 「はぁ? オレどないして食べんねん」 「うちが食べたあと、あんたが食べればええやん。うち、虫歯ちゃうしうつらへんで?」 ……いや、そういう問題やのうてな。言いかけてやめておいた。一度言い出したらこの子は聞かないのだ。 お行儀よく手を合わせて、いただきますをしたひよ里は、最初にマシュマロ入りの甘いコーヒーを飲んだ。わりと美味かったのか、うんうんひとりで頷いていた。その場に突っ立っているのもなんなので、オレも仕方なく席について、自分で入れたコーヒーを飲むことにした。せめて四分の一くらいは残してくれると嬉しい。 一口啜ると、安っぽいインスタントコーヒーの酸味と渋みが口の中に広がった。ひよ里が食べ終わるのを待つために、ぼんやりと出窓の外を眺めていると、後ろ頭のあたりに視線を感じた。振り返ると、彼女はフォークを手にしたまま難しい顔をして、未だにホットケーキには手をつけず、それとオレを見比べている。 この子は何をしてるんや。 「何してん、はよ食べや」と急かせば、「食べるわ」と少し不機嫌な声が返ってくる。じゃぁ、早く食べて欲しい。と思っていると、ひよ里はムスッとした顔をして、フォークを突き出した。 「面倒くさい」 「は?」 「ケーキ焼いて、洗いモンしたら疲れたっちゅうねん」 「お前はお年寄りか。ええからはよ食べって。食わへんのやったらオレが食べてまうで」 差し出されたフォークを取る真似をしようとしたら、本当に渡された。 「ひよ里?」 「そうや。ハゲが食わせてくれればええやん」 「えーっと。猿柿さんは寝ぼけてますのん? あとハゲが食わすとかちょっと言葉がおかしいですよ。そこ、わかってますか?」 「めっちゃ起きてるっちゅうねん。ええから食べさし、真子」 「うん、わかってへんな。聞いたオレがアホやった」 「意味わからん」 それはオレの科白や。って、今はそんなことより、 「食わせろとか本気でいうてんの? 遊びやのうて?」 ひよ里は口の端を釣り上げる。小悪魔っぽい八重歯がのぞいた。 「うちはいつでも真剣や」 「……、」 なんやろ。何か企んでいる気がしてならない。 「シロップつけてや。あ、生クリームも」 椅子の上でふんぞり返るひよ里は我儘なお姫サンよろしくあれこれ注文をつけていた。その注文通りにしてやるオレはさしずめその家臣とか、召使いだろう。おかしい。どちらかというと、王子様キャラなのに。髪の色とか、髪型とか。あ、髪だけだった。 「ほれ、食え」 切り分けたケーキの欠片を差し出すと、ひよ里は「ちょっとでかいわ」と文句をつけながら、もぐもぐ食べる。言われた通りに今度は小さめに切ると、「小さすぎる」と怒られた。 (そうそうちょうどいい大きさになんぞ切れるか) 調子に乗ったひよ里は更に注文をつける。 イチゴ食べたい。はいはい。クリーム欲しい。はいはい。クリーム足りへんな、冷蔵庫からホイップクリームまだあったからとってきて。はいよぉ。コーヒー飲ませて。いや、さすがにそれは自分で飲んで。えー。口移しになりますけどええですか? ……。無言か、なんか言いや。……もうええわ。 ごちゃごちゃ言いながら、ホットケーキを一枚分食べたところで、ひよ里はもういらないと言いだした。全部食べると言ったわりにいくらも食べてない。 「もう食わんのか」 「食わん。あと真子にやるわ」 「ほんまに? ほな、遠慮のぉ」 持っていたフォークを握り直して、いただきますをしようとすると、ひよ里に手を掴まれた。 なんでや。やっぱり食べんのか。 「フォークかせ」 「は? なんで?」 「食わしたる」 「はい?」 「食わしたる言うてんねん」 なになになに? 今食わしたるとかいうたか? 怖い。怖いぞ。ひよ里の考えがさっぱりわからん。 首をぶんぶん横に振った。 「ええって。自分で食えるし」 「なんでや」 「何でも何も、ひよ里自分でいうてたやん、自分で食べんの面倒やって。人に食べさせるとかもっと面倒やぞ」 「気が変わった」 気が、かわったって……おまえ。 「あかんのか」 「あかんくないけど、やな」 「イヤならイヤ言うて、ハッキリ言い。中途半端なんがいっちゃんすかん」 とたんに不機嫌になる。いつも眉間に皺を寄せているから不機嫌そうなのはいつもだけど。 頭も痛くないのにこめかみのあたりを親指でグリグリ押した。 「イヤとかやのうて、おまえいっつもこんなんしてこうへんやんか。さっきの食べさせても、そやし。なんかあるんか」 「なんもあらへんわ。気分や。そういう」 どういう気分や。心の中で突っ込みを入れつつ、オレは諦めてひよ里にフォークを渡した。 「ええよ。ひよ里の好きなようにしぃ」 もう、どうにでもなれというやつだ。 ひよ里はホクホク顔でホットケーキを切り分けると、クリームを少しつけた欠片を口元にもってくる。 「はい、あーんし」 ぶっ、と口の中の唾液が飛び出しそうになった。なんやこれ、なんかのプレイか。街中で極稀にみかけるバカップルやないか。これでうっかり口でも開けたら「かかりよったな、ハゲ真子」とか言われて笑われるんやろか。 そう考えると、なかなか口を開けられず、フォークの先を見つめることしかできない。それに痺れを切らしたのか、ひよ里は半ば乱暴に、口を開けろとケーキを押し付けてきた。もう無茶苦茶だ。わけがわからない。なされるがまま口を開けて食べた。 「どや、うまいか」 「うまいで」 不味くは無いし、普通に美味しかった。でも、できればできたてを、できれば自分のペースで食べたかった。そんな思いと一緒にケーキを飲み込むと、ひよ里は満足そうに頬をゆるめて、はい、と次を差し出した。 (あれ? うーん。これは……、もしや) 考えながら口を開けようとすると、顎にべとっという感触がした。間違いなくクリームがついた。……やりよった。とうとうひよ里はやりよった。これか。こいつの狙いはこれか! くそ。謀られた! 「何してくれてんねん。思いっきりついたやんけ! ティッシュ、ティッシュ」 「それくらいで、やいやいいいなや。騒がしい。」 チッと舌打ちをする。 「しゃーかて、きしょいねんで。ぞわっとすんねんで。ちゅーかなんで顎やねん。顎につけるとか意味がわからん」 「うっとうしいな。わかったわ、とったるから、じっとしぃ」 「は?」 「ええからとりあえず、目ぇ瞑れ」 おでこをピシャリと叩かれて(だいたい何故そんなことをされなければいけないのか)一抹の不安を抱きつ仕方なく目を瞑る。しばらくすると、温かくてぬるっと湿った感触がした。 (でぇぇぇぇぇ?!) 間違いなくひよ里の舌だった。 「ちょ、ちょぉ!!」 慌ててひよ里を引き離す。いや、引き剥がす。まだついてるで、と不思議な顔をされた。だからその顔はオレがしたい。 「ちょう待って。ひよ里、何してんねん」 「はぁ? 何って、あんたがうるさいからクリームとってんやんか」 「いやいや、なんで舐めてんねん」 「もったいないやろ」 そーかもしれへんけども。 「あかんって」 「なにが」 「いろいろと」 理性が。これ以上は理性が、もたん。 「ふうん」 つまらん。と口を尖らせたひよ里は、顎についた残りの生クリームを親指で拭いとってそれをオレの目の前にかざした。今度はなんや。 「親指についたクリームやる」 「それは、舐め取れ言うことですか、猿柿サン」 「せや」 当然のように頷かれ、オレは暫く考えた。これまでのひよ里の行動を鑑みるに、その。えーと。やっぱり。彼女はもしかして。いや、もしかしなくても。 「オレの勘違いやったら、すまんのやけど」 前置きをして言った。 「ひよ里、オレといちゃいちゃしたいんか?」 「……ッ!」 指摘するとみるみる赤くなってしまった。ここで赤くなるのは反則だろう(ついでに、恥ずかしがるタイミングがおかしい)。吹っ飛びそうになる理性をなんとか繋ぎ止めて、ひよ里の親指についたクリームを舐め取る。もはや味なんてわからない。 「はぁぁぁぁぁ」 心の底から深いため息をついた。 「それならそうと言うてくれれば……、」 「い、言えるか。そんなもん」 今更ながらに真っ赤になって固まっているひよ里に、そりゃそうだと頷いた。 だいたいひよ里がそんなことまず言うはずが無い。言えないんだ。 憎まれ口ならどれだけでも言えるのに。人一倍痛がりで。怖がりだから。 それを誰にも知られないように人一倍強がって。 欲しくて、欲しくて仕方ないくせに、何でもない顔をして。 幸せを感じることが怖いから。 終わる幸せがあることを知っているから。 この幸せもいつか無くなってしまうかもしれないと思うから。 だから手放そうとするくせに、やっぱり手を伸ばす。 そんな子なんだ。 不貞腐れたようにそっぽを向いたままのひよ里の視界に入るように覗き込む。小さい両手を包み込むようにしっかり握った。柔らかくて冷たかった。 「えーっとですね、猿柿サン。甘えたかったら甘えたい言うてええんですよ? いちゃいちゃしたい思うたら、そう言うて。あ、まぁ。言わんでも気づけって話なんやけど、オレ、ほら。女の子の気持ちとか疎いから、ズレたこととか考えてる時、多いしな」 さっきだって、新手の悪戯とか思ってたし。 「あと、ひよ里もちょっと世間ずれしてるからな、言わなわからへんこと、ぎょうさんあんねんオレら。な?」 少しだけ力を入れて握れば、応えるように握り返す。 「あと、この際やから言うてまうけど。オレも、たいがいイチャイチャしたかったです。ベタベタして、ラブラブっと。嫌われたなかったから今までせえへんかったけど」 自分ばかりだと思っていたから。 こんなふうに触れたいのも、そばにいれて嬉しいのも。なにもかも。 「しゃーから嬉しい。」 「なに言うてんねん。アホちゃうか」 憎まれ口を叩くひよ里は、怒ったような困ったような泣きそうな嬉しそうな、それ全部がないまぜになったみたいな面白い顔で、まったく迫力が無かった。 「あー! つけんなや! ハゲが」 「お返しや。お返し」 さっきのお返しとして、ひよ里の頬にクリームをつけてやった。膝の上に乗せたひよ里はバタバタと暴れ出す。 「ちゃんとお口でキレイにしたるから、そう暴れなや」 「そんな恥ずかしいことせんでええわ! ティッシュで拭く」 「アホか。そんな恥ずかしいことをついさっきお前がしてたんやろが」 「するのはええねん。されんのはいやや」 「どういう理屈やねん」 暴れるひよ里を抑え込むように抱きしめて、頬につけたクリームを舐めとる。さっき食べた時よりも、ずっと甘い気がした。すっかり主導権を握られてしまったひよ里は恨みがましくオレを睨む。 「あかんって、そんな顔しても、かわええだけや」 こつこつと、おでことおでこをぶつける。 「こんなんかわええとか、お前の頭どっかおかしいわ」 怒って赤い顔を更に赤くする。首のあたりまで赤くなっていた。やっぱり、可愛い。 「ひよ里のそういう素直やないとこ、好きや」 「……あほか」 好きだと伝えれば、ひよ里は一瞬だけ泣き出しそうな顔をする。その顔を見る度に切なくて胸が熱くなるのを、この子はきっと知らない。 最後の苺をひよ里の口の中に無理やり押し込んだ。吃驚しながらも咀嚼をはじめる口に、キスをした。甘酸っぱい味がした。 マシュマロよりも柔らかい柔い唇。クリームよりも甘くて溶けるようなくちづけ。 がんばって応えようとするひよ里の小さな舌を絡め取り、愛撫した。耳朶の裏を指でさすると、ひよ里はしがみ付いて、小さな身体をふるふる震わせる。 長いキスのあと、もう一度くちびるを軽く啄ばむようにくちづけてから離す。すっかりいきのあがったひよ里が、熱っぽく潤んだ瞳で見上げてくる。可愛くて、愛しくて仕方が無い。細くて頼りない体躯を強めに抱きしめる。もっと触れたい。放したくない。 「なぁ、ひよ里」 もう一度、確かめるように手を握る。 「なんや」 「うん。あんな、あとはオレの部屋でいっしょに食べよ?」 唇を噛みしめてひよ里はちいさくちいさく頷いた。 苺よりも。 クリームよりも。 マシュマロよりも。 もっと甘くて。 もっと優しくて。 もっと幸せになれること。 だからどうか、怖がらないで。大丈夫だよ。 僕はずっとそばにいるから。何があっても。どんなときでも。 もしも離れてしまうことがあっても、
二人とも大好きすぎる。春が来たね。うん、春が来たよ。(2012.04.17) |