天気あめ
晴れてるのに雨が降っているのをキツネの嫁入りと言うらしい。 でもウチはそうは思わん。 アレは、なんていうか。 おひさまの涙やと思う。 上手に泣かれへん、ウチらの代わりに泣いてくれてるんやと思う。 「なんやねん。先客が居るやないか」
例によって、あのアホ面で。何してんねん。ハゲが。 「いやー。暇や思て、此処来させてもらったわ。そしたら、ほれ、天気雨」 肩を竦めて空を指す。 今も、まだパラパラと明るい空から雨粒が降っている。 顔を見られるのが嫌だから、背中合わせになるように座って、おかっぱ頭の男の背中に自分の背中を預けた。 本当は、この男が向いてる方向が一番街並みがきれいに見渡せて、お星さんも綺麗に見れるし、朝焼けも綺麗に見えるから渡したくない場所だけど。しゃあない。今日だけは特別、その特等席を譲ってやる。 「おおきに。ひよ里」 「ウチは優しいからな。肉まんでええで?真子」 ちゃっかり食いもん要求しとるやないかい。頭の後ろからちっと舌打ちする音が聞こえた。 何かあれば、何もなくても。 ただぼーっとしたい時とか。なんだかちょっと無性に泣きたくなった時とか、此処に来る。 真子もきっとそうなんだろう。 時々、ふとした瞬間に、襲われる喪失感。 空虚感。 徒労感。 帰りたいけれど、帰る事も出来ない場所。 戻したいけれど、戻す事のでいない時間。 何者にもなれない自分たちの存在。 何者にもでもない自分たちの存在。 みんなどこかしら不器用で、上手に言葉にする術を持たないけれど。 きっとそういうのと向き合っている。 たまに、慣れ合って。たまに、孤独になって。 結局いつも、自分自身で抱えていかなければいけない事に気がつくんだ。 そしてそういうのと上手に折り合いをつけていく、大人の方法を身につける。 だけど、いつもいつも、そんな風に割り切れる事も出来なくって、誰かに甘えたくなる。 それの繰り返し。 だけど、それもいいと思う。 生きているという証なんだと、最近気がついた。
しかも、普段ウチが考えている事やないか。恥ずかしい。 「いきなしなんやねん。きっしょいな!」 「いや、そう思わへん?」 「……」 「思ってんねんやろー?素直やないなァ」 「うるさいわ。今、ビーサンの裏、ドロドロなんやけど、それで頭どついたってもええねんで?」 「ひよ里、それはやめたって。頭ドロドロなんのはいやや」 そう言いながら、濡れたコンクリに置いてあるウチの手をそっと握る。 こいつも、今日はそういう気分なんやろな。 なんとなく伝わる、気持ち。 「おひさまの強がりの涙や」 濡れたおかっぱ頭が揺れる。 「強がりかー。俺は、泣き笑いやと思た」 「泣き笑い?」 「天気あめの後って、虹が架かる事が多いねんて。せやから泣き笑いしてんやろとおもてたわー」 「ふーん。ほな、虹が架からへん時は、強がって泣きよるんやろな。こっそり」 「それ、お前やんか」 「……いわすで。ハゲ真子」 そんな会話をしているうちに、雨が上がる。 「ああ、虹や」 「え?どこ?」 「あっち、あっちや、真子」 西の空を指差す。 日が沈み始めていて、ずっと向こうの方の空の色がオレンジ色に染まりつつある。 そこに、ほんの少しだけ、すぐに消えそうなくらいの薄い虹が架かっていた。 「今日は笑い泣きやったな」 満足そうに真子が頷いた。 あーあ。すっかり濡れてしもて。 前髪おでこに張り付いてもうてるやん。 「風邪ひくで。帰りぃ」 「ええー」 「ええーやない。お前がそないなこと言うても可愛いないで」 「ひよ里かて、濡れてるやん」 「ええ気持や」 ぷいとそっぽを向こうとしたら、身体に抱きつかれた。 「な、なんや」 思わず、身を捩って真子から逃れようとする。でも。 「…ひよ里」 切なげに低い声で囁かれると、きゅんと胸が疼いて、逃げようと身体を動かすのを止めてしまう。 そのまま、キスをした。 唇を割って入って、味わうように口内を撫でる真子の舌先には、いつもすぐに思考を奪われそうになる。 カチカチと奥歯に舌ピアスが当たった。 身体を弄る大きな男の手。 夢中になった。 今日は誰かに甘えたい日なんだろう。真子にとって。 もちろん、誰かにと言っても相手は決まっている。 ウチしかいない。 逆もまた同じで、ウチがこうして甘えて身体を許す相手は真子しかいない。 他の誰も、この代わりになる事はない。決して。 欲しいと思い、欲しがられたいと思う。 恋とか、愛とか、好きだとか、そういう類の言葉は、口にすると、どこか陳腐に聞こえてしまって、違うなと考える。いや、ただ単純に恥ずかしいだけか。 思考は纏らない。 余裕なく、欲しがって、溶けてしまえばいい。 「ふぅ・・・・あっ・・・・」 対面で真子の上を跨ぐようにして膝をついて座る。 ジャージの上着を脱がし、大きめのタンクトップもたくし上げられ、露わになったウチの胸元に、顔を埋める。舌先の感触に、切ない息を吐く。 真子の大きな骨ばった片手を小さな膨らみに、もう片方は細い脚の間の敏感な部分へ。 細かく刺激され、下半身が熱くなる。 身体を支えるのも難しくなり、胸元にある真子の頭にしがみ付く。 堪えても漏れる、熱い吐息。甘い、声。 「もう、…あかんの?」 焦れた様な真子の声に、頷く事しか出来ない。 ベルトを外す音が聞こえた。 「このまま、動ける?」 耳元で囁かれる。 「上手く…出来…へん…ッ…」 大丈夫、と言われ、そのまま腰をゆっくりと落とした。 質量を感じる。 「ひよ…ッ、力、抜いて…」 掠れた様な声に、ぞくぞくした。 未だにこの瞬間だけは慣れなくて、上手く力を抜く事が出来ない。 だからか、最後まで入った時に、必ず訊かれる。 「痛く、ないか?」 「…ん」 いつだったか、どうして毎回そう尋ねるのか訊いた事があった。 「壊れてまいそうやから」そう言っていた。 そんなことで、壊れる事なんてないのにな。そう思ったけれど、大事にされているんやろうなと嬉しかった。 ゆっくりと、腰を動かす。 「…んん…はぁ…」 昔ほど、この体制でのこの行為にぎこちなさは無くなってきたと思う。 だけど、余裕がない自分が恥ずかしいから、真子に質問してみた。 「…ウチのこと、好き…なん?」 驚いた目をしてこちらを見た。 そんなにらしくない質問だったのか?もしかしたら、重かったのかもしれない。 ごめん、気にすんな、そう言おうと思ったら、 「好きなんは、好きなんやと思う」 なんともあやふやな返事。 「なんやそれ?」 思わず、動きを止めてしまった。 大きな釣り目がちの瞳。八重歯。そばかす。 オレと同じ色の髪の毛。張りがあって、コシがあって羨ましい。 あと、ちんまい手に、ちんまい足。ちんまい背。 控えめだけど、ちゃんと女の子な胸。 意地っ張りなとこも、情に脆くて、けっこう涙もろいところも。 怒った顔も。笑った顔も。照れた顔も。全部、全部。 「こっちが恥ずかしなんねんけど」 「ほな、言わすな」 あはは。ほんでも、ひよ里の存在自体は、またちょっと別。 「どういうこっちゃ?」 「好き、とかそういう言葉で表すのがむずい」 「頑張って、例えてみよか」 「そやなァ」 居てくれて、ありがとう?嬉しい。これからも一緒に居って。 傍に居て。離れるな。 「そんな感じや。そういうのもひっくるめて好きって意味なんやったら、好きやと思う」 「ややこしいな、お前」 「ひよ里はどうやねん」 「え?ウチ?」 「オレにだけ言わせるのは、無しやろー」 「ン―――――――…」 アホ面嫌い。三白眼でいやや。笑ったら歯が見えんのも嫌い。歯並び良すぎ。羨ましくない。喋り方も被ってて腹立つ。 金髪のおかっぱ嫌い。サラサラしすぎでむかつく。 大きくて骨ばった手も。すね毛がちゃっかり生えてる脚も。大きな背中も。細い肩も。 やさしい声も。意地悪なところも。仲間思いなとこも。なんでも自分より他の誰かを優先させてまう所も。ヘラヘラ笑いよるのも。たまにみせる淋しそうな顔も。 「全部、嫌いや」 傍に居てくれへんでもええ。離れてってもええ。 「なんでやねん!全否定やないか!」 真子が不貞腐れた。それはないやろ。 「・・・・おまえ、逆さま得意なんやろ?」 「んん?」 「逆さま得意なんやから、察しろ」 ああ、やっとわかったという顔をして、ため息を思いっきりつく。 「―――やっやこしいやっちゃなぁぁぁぁぁ」 「ほっとけ」 恥ずかしくなって顔を下に向けると、真子にまたキスされた。 ――甘い。そう思った。 また、再開される動き。 ゆっくりと身体の中心が熱く痺れていく。 なんだかんだと理屈をつけているけれど。 お互い、こうしていたいだけなのかもしれない。 「ああ…ぁ…ッ」 甘えたいから。 淋しいから。 隙間を埋めたいから。 一人で居たくないから。 複雑な気持ちも沢山ある。 気持ちがいいから? 一つになれた気がするから? それも、きっと間違いじゃ無い。 互いを感じていたいから。 互いに求めあってる事の確認? それって、結局自分が、陳腐と評した『好き』や『愛しい』や『恋しい』につながっていくんやろな。 散漫する思考の中で出したよくわからない、結論。 「・・しん・・じ………っ」 その結論も、やがて快感の波に呑まれて消えていく。 繋がった部分のすぐ上の芯を刺激され、思うように動けない。 縋るようにしがみつく。 「気持ち、ええの?」 耳元で、ため息交じりに低く耳元で囁かれ、コクコクと頭を縦に振る。 腰を持たれて、さらに深く交わった。 律動が早まる。 「ひよ…里…」 「あ…ん―……」 苦しげな掠れた真子の声が、ソレが近いのだと教えた。 何も、考えられない。 感じるのは、自分を揺する男の体温と質量だけ。 それで、いい。 今は、それ以上何もいらない。 確かなものは、この胸の中にある。 いっそう深く下から突かれた。 「ああ―――っっ」 身体の中心から脳天に突き抜けるような快感に、のけぞる。 内側が、痙攣したようにひくつきだした頃、真子もソレを迎えたのがわかった。 少し、落ち着いたころ、真子の肩に頭を預けたまま虹が架かっていた空を見た。 虹は消え、すっかり紅く染まり、夕焼けぞらになっていた。 「虹、ない」 つぶやくと、 また、虹が見えたら、一緒に見ような。 それから。 天気あめの時はおひさまも、案外淋しがり屋やから、一緒に居てような。 真子の不思議な約束事に、静かにうなずいた。
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