素直じゃない彼女には甘い口付けを。
窓の外を見れば、沈む夕日のせいで、朱色に染まる空と街。
遠くから子どもの笑い声がうっすらと聞こえる。
オールドナンバーのジャズが静かに流れるこの部屋はとても居心地がよい。
真子は自身のベッドの上でうつ伏せに寝転び、これいい、これはうーん・・・?とブツブツとつぶやきながら雑誌を見ている。
そのベッドを背もたれかわりにもたれかかり、地べたに腰を下ろし、大きなクッションを抱き枕かわりに抱えて流れるジャズに耳を傾けていた。
音楽にはあまり詳しくはないけれど、真子が選ぶ曲はどれもセンスがいいと思う。
ふうっと、大きく深呼吸してみる。
うっすらと真子のシャツの匂いが鼻をかすめた。
「・・・・・・・・」
それにしても、だ。
ちょっと放っておかれ過ぎではないだろうか、とチラリとベッドで何やら思案中の真子をみる。
雑誌を見ながらやけに楽しそうだ。
今日に限ってみんな朝から出かけてしまっていた。
ハッチは確か喜助のとこにいる、テッサイに用があるとか。
拳西は白に引っ張られてどこかに拉致られたはず。
ローズとラブは、漫画喫茶に行くとか言ってでていき、リサは、・・・?あれ?どこにいったんだろう?行き先も告げずにどこかへ出かけていた。
で、残ったのが、真子とひよ里というわけだが。
(つまらん・・・)
いつもなら、真子から何かしら悪戯を仕掛けられては、怒付き合ったり、言い合いをしているけれど、今日はそんな事がほとんどない。
まぁ、毎日毎日飽きもせずに繰り返すんだからこんな日はあってもいいと思うんだけど。
ほんのちょっぴり物足りないと思ってしまうのは、何故だろう?
「なぁー、ハゲカッパ?」
「んー?何やー?つーかハゲてへんし、カッパでもあらへんけどー?」
ひよ里がちょっかいを掛けたって、軽く言い返しはするけれど、雑誌から目を離すことはしない。
その様子に、ついつい顔をしかめる。
(うちがこうやって傍にいたってんのに!なんやねん!ハゲ真子!)
面白くないので、心の中で悪態をついてみた。
真子のこの大人の余裕ぶった態度をなんとか崩せないだろうか?
驚いたり、余裕をなくした顔がみたい!
何かいい案はないだろうか?
うーんと考えながら、もう一度真子に話しかける。
「暇やなぁ〜真子〜」
ベッドに寝そべっている真子の方に上半身を少し捩じってみる。
飽きもせずにニタニタと、金髪のおかっぱな髪を揺らしながら雑誌を見ている真子。
「んー?せやなー」
やっぱりこちらをチラりとも見ることなく返事をした。
「・・・・・・・」
腹立つ!とひよ里は口をとがらせた。
後頭部をどつくのは、少し前にやってみたけど「痛いのー」ですぐに終わってしまったし。
ベッドの脇に、おでこをくっつけてうーんと一唸りした後、ひよ里はハタと閃いた。
(ウチが絶対に言わんことを言えばええんや!)
そう思い立ち、ベッドからガバリと頭を持ち上げた。
しかし、しかしだ。
(ウチが言いそうにもないことって・・・)
何があるのだろうか?
薄眼で何気なく真子の顔をみた。
(例えば・・・)
思わず見てしまったのは、真子の口元。
並びの良い白い歯に、男のくせに荒れのない唇。
(キス・・・とか――――――?)
いやいやいや。
(何考えてんねん、ウチ!)
待て待て待て。
こんなことで、あの男の飄々とした態度が変わるのだろうか?
逆に優位に立たれるかもしれない・・・。
でも、今までに一度だってひよ里からそういう事をした事も無ければ、言ったことも無い。
どういう風に反応を示すかは未知数だ。
うっかり気を良くさせてしまって調子付けてしまったら、鉄拳をお見舞いして自室に帰ろう。
もしも・・・、もしも。
真子が動揺するようなことがあれば・・・。
(そん時は、ウチの勝ちや!)
キッと勝負を挑むかのように真子の横顔を睨みつけ、上半身だけ少し捩るという無理な体勢をした体を徐にベッドへと向き直す。
すぅっと息を思い切り吸い込んで深く深呼吸して
「なぁ、真子」
と、憎らしい横顔を呼んだ。
ひよ里の魂胆にはこれっぽっちも気がつかない真子は先ほどと同じように、面倒くさげに「んー?」と気のない返事を返した。
そんな態度の真子にやっぱりムッとしながら、ひよ里は意を決して勝負の言葉を口にする。
「ちゅー、せえへん?」
自分で言った言葉に、ひよ里は激しく後悔した。
(ちゅーってなんやねん!ちゅーって!真子の口癖がうつっとるやないか!!)
心臓が急にバクバクと音を立てて煩い。
(自分で言うたくせに照れてまうとか、ウチはアホか!!)
少々自己嫌悪に陥りつつも、真子の反応を伺った。
いつもの調子なら、ニターとやらしい顔を浮かべて調子に乗るか、気が乗らなければ「アホか!」とあきれた調子で返されるだろう。
でも、何も反応が無い。
いや、動きが止まった・・・というか、固まったが正解か。
さっきまで楽しげに見ていた雑誌は手から離れ、通販のページが開いていて、顔は何もない白い壁の方を向き、目は見開かれ、口はあんぐりと開き、頬がいつもよりも明らかに朱色に染まっていた。
こんな真子は今まで見たことが無い。
ひよ里は目を見張った。そして、なんだか勝ち誇った気分になった。
(こないな反応すんのか、こいつは!!めっちゃおもろいやんけ!!)
むくむくと芽生えたのは、悪戯心。
思わず、ニヤリと意地悪くほほ笑むと、すぐに顔を元に戻し、もう一度同じ言葉を動きを止めた真子に言ってみる。
「ちゅー、せえへん?」
ピクリと手が動いたのがわかった。
思わず、ひよ里の口元が緩むが、悟られないようにすぐに口を結ぶ。
ギギギと擬音が聞こえてきそうなくらいぎこちなく顔だけをひよ里の方へと向けた真子。
よーやっと、こっちを向きよったなと、少し睨んでから、赤らんだ顔をした相手をしげしげと見つめた。
いつもと完全に逆パターンである。
普段ああやってけしかけるのはいつだって真子で。
その真子に良いように振り回されるのがひよ里だった。
今、まさに立場は逆転しているのだ。
「あかん?」
伺うように聞いてみた。
真子が見降ろし、ひよ里が見上げるような位置に二人の頭がある。
しばらく真一文字に口を結んで無言だったが、上擦った声を出し
「あ・・・あかんくないです!」
と急におかしな丁寧語でしゃべる真子の様子に、ふふふと気をすっかり気を良くしたひよ里。
「ふぅん」と言いながら、立ち上がる。
もっと恥ずかしそうな顔を見てやりたい、という気持ちがわき起こる。
「ほしたら仰向けになり」
気分はまるで女王様だ。
ひよ里にそう促され、真子は素直に仰向けになった。
「仰向けになったけど」
一体何をするつもりなのかと、怪訝そうに聞いてくる。
どういう意図があるのかイマイチ掴めないでいる。
そんな真子を見下ろしながら、
「目、瞑り」
「えー?なんでやねん」
「えー?やない。目ぇ、早よ瞑れ」
命令する。
「もー、なんやねんなぁー」
とぶつくさ文句を言いながらも目を瞑った。
しっかりと目が閉じた事を目視で確認すると、ひよ里は徐に、真子の頭の少し横に左手を置き、その体を跨ぐようにして右手を真子の肩の近くに置いた。
その体勢だと、少しきついので、右足もベッドの上に膝を折った状態で載せる。
ひよ里の体が近づいた気配を感じた真子は思わず「ひよ里?」と声をかけるが、すぐに「黙れ」と返された。
殴られると感じたのか、閉じていた目にぎゅっと力が入ったのがわかる位の位置までひよ里は顔を持ってくる。
少しだけそのまま真子の顔をぼーっと見つめ、
(ウチ、今日、なんやおかしいわ)
と、明らかに自分らしくない行動に少し戸惑いつつも、さらにゆっくりと頭を傾ける。
先ほどまでBGMとして流れていた曲が止まる。
そのせいで、部屋の中はシンと静まり返った。
目を閉じる。
トクン、トクン。
自分の心臓の音がやけに煩く聞こえた。
二人の唇が、ゆっくりと重なった。
(真子の唇って、柔らかい・・・)
妙に冷静な頭の中でそんな事を思った。
ほんの少しだけ離して、上唇に、次は下唇にと口づける。
もう一度だけ、角度を変えて口づけると、ゆっくりと顔をあげた。
頬が少しだけ火照っているのが自分でわかった。
鼓動も先ほどよりも早くなっていた。
うっすら目を開け、真子の顔を伺ってみる。
この男、真っ赤な顔をして目を見開いてひよ里をみていた。
「目、瞑れって言うたやろ?何勝手に開けてんねん」
「・・・やって」
口をわなわなと震わせながら
「・・・やって、猿柿さんが積極的なんやもんっっ・・ふぉごっ!!!」
条件反射で思わず頭突きを喰らわせてしまった。
至近距離で加減無しの頭突きはひよ里もおでこを傷めてしまったようで、二人しておでこを無言でさすった。ひたすら痛い。涙が滲んだ。
先ほどの余韻なんてあったものではない。
・・・はず、だが。
じとーっと真子の方を睨むひよ里。
思わず目をそらす真子は、おでこをさすっていた手で、目元を隠した。
「あんまし見んといてや」
怒ったような口調で真子が言うと、
「?なんで?」
不思議に思ってひよ里は聞き返す。
「今、全然余裕あらへん。アホみたいやろうけどって言わすな、ボケ」
「・・・・・・ふうん」
ひよ里は擦っていた手をベッドにつき直し、
「ほな、もう、いらへんな」
挑発をするように、真子に言った。
指と指の間から、こちらを伺う。
明らかにひよ里の方が優位に立っている状態に、はぁと深く息を吐き、小さく「いる」とだけつぶやいた。
その答えに満足して、ひよ里は思わずほくそ笑むと、
「目は瞑れ」
と言って、またゆっくりと真子に唇を重ねた。
ちゅっちゅっと啄ばむように何度か口付ける。
ひよ里が舌先で、ちょんちょんとノックをすれば、それに答えるように真子はわずかに開けて迎え入れる。
不意にひよ里の脳裏に過ったのは、真子とのキスのシーン。
真子は必ずひよ里の八重歯をなぞった後に、舌を絡め取る。
思い出して、ドクンと胸が高鳴った。
小さな舌でゆったりと口内を舐めた後、遠慮がちに真子の舌に触れてみる。
最初は少しだけ戯れるように絡め、馴れてくれば大胆に。深く。
「・・・・ふぅ・・・ん・・っ・・」
熱い吐息が漏れる。
脳が甘く痺れる。夢中になる。
体中の力が抜けそうになるので思わず、シーツを握る手に力が入る。
胸がザワザワわざついて。身体の奥が甘美な疼きを覚えた。
今、立場は逆転しているはずなのに、まるで真子に翻弄されている気分になる。
ほんの少し名残惜しげにちゅっと口付けて、静かに唇を離す。
息継ぎを忘れ深くキスしていたせいで、二人とも息がすっかりあがっていた。
呼吸が落ち着くと、仰向けのまま呆けている真子をキッと睨み、
「ああいうのは、難しい」と唇を尖らせた。
真子はフッと笑う。
本来の余裕を取り戻しつつあるような、その笑みが癪に障ったので、もう一度真子の唇にキスを落とす。
次は唇の横へ。頬へ。ゆっくりとスライドしていく。
(あれ?この感じ、身に覚えがある)
それもその筈。
たった今、ひよ里が真子にしている行為その物が、いつもその男にされている事なのだ。
身に覚えがない筈がない。
スライドしていった唇は、真子の熱くなった耳たぶに触れた。
軽く食むと、ピクリと真子の身体が反応した。
そんなことはお構いなしに、子猫がペロッと舐めるように耳たぶを舐めてみた。
(そうそう、この後絶対にアレを言うんや)
「好きや、ひよ里――――」と。いつもより、少し低い声で。
その言葉はきゅうっとひよ里の胸を締め付ける。それで、ついつい身体を許してしまうんだ。
まったく性質の悪い、中毒性を持つ言葉と声色。
そんな事をぼんやりと考えている時に視界の右端に真子の手が見えた。
掴んでいたシーツを離し、そっとその大きな手に自分の小さな手を絡めた。
心地よい真子の掌の温もりが、冷たいひよ里の手を介して脳に届く。
心臓が震えた。
耳の軟骨あたりに、ちょんと口付けた後。
「好き、真子」
と、耳元で甘く呟いて、もう一度、同じ場所へちゅっとキスをした。
はぁ、大満足。真子の焦った顔も拝む事が出来たしと、清々しい気分になったひよ里。
「終いや、真子」とあっさりと言ってのけ、さっと顔を上げ、絡めていた手を離し、ベッドを降りようと身体を起こそうとした。
が、起き上がれない。
(あ・・・あれ?)
嫌な予感がする。
手を絡めていない方の真子の右手が知らぬ間にひよ里の腰を抱いていた。
絡めた左手も、痛くない程度に力が入り、離せないようにしていた。
「さーるがーきさーん」
真子の意地の悪げな声が下から聞こえた。
気がつくのが遅かった。
ちらりと声のした方を見れば、そこにはすっかりと余裕を取り戻して、にっこりと笑顔の真子がいた。
「あーんな、やーらしいこと自分からしといて、まさかこのまま終わるとは思ってへんよなー?」
そう真子が言い終わった瞬間にひよ里の視界は急に反転し、気がつけば先ほどとは真逆の体制になっていた。
ベッドに押しつけられた。
「なっなっ・・・!」
口がわなないて言葉が思うように紡げない。
先ほどの立場はすでに逆転していることを悟った。
悔しくって、ギロリと真子を睨みあげてみるが
「そないな顔したって怖ないで?」と言われ、まるで効果は無し。
ニヤニヤとニヤけた顔をした男の指先がひよ里の唇をすっとなでる。
ビクリと小さな体が反応した。
その様子を満足げに見た真子は、「堪忍な」優しくと言った。
「俺が生返事ばっかりしよったんがあかんかったんやろ?」
言い当てられて、真子から視線を外し、少しの間の後、こくりと頷いた。
「ちょっと淋しかったんやんな?」
もう一度、こくりと頷く。珍しく素直に。
「今日はえらい、甘えん坊さんなんやな?ひよ里」
そう言われて恥ずかしくなって口をきゅっと結んだ。
そんなひよ里をみて、真子はフフと笑う。
「それにしても・・・」
すぐにその笑みは引っ込み、その代りに射抜くような鋭い目つきになった。
「さっきみたぁな、攻めのひよ里もエエんやけどなぁ」
真子の人差し指と中指がつつつーっと淫猥な意図を以って唇から顎を伝い喉をなぞり、胸の中心をゆっくりと掠め、へその所で止まる。
なぞられた場所が熱を帯び始める。
「俺としては、やっぱりこっちがエエなァ」
真子の指が次は鎖骨をなぞり始める。
触れるか触れないかの、わずかな刺激。
思わず漏れそうになる甘い声をぐっと我慢し、その代わりに
「エロ河童」と罵ってやる。
ほーっと真子は感心した顔をして、またすぐニヤリと笑う。
「ほんで、そのエロ河童に向かって好き言うたんは誰やったっけ?」
「!!!!」
「誰やったかなー?なぁ、ひよ里」
ちっっと舌打ちして、そっぽを向けば、くいと顎を持たれ、そのまま深く口づけられた。
角度を変えて何度もキスされれば、すぐにひよ里の息が上がった。
そんな彼女を唇を離して満足げにクスクスと笑う真子は、覆いかぶさるように、小柄なの四肢を跨いでいた大きな身体を、壁とひよ里の間に沈みこませた。
開けた視界。とっさに起き上がろうとした瞬間に、「あかん」と耳元で静かにそう言うと、間髪いれずに先ほどまで、鎖骨を撫でていた指をひよ里の唇に落とす。
乾いた喉がくっと鳴った。
まるで金縛りにあってるように、自分の身体が言う事をきかない。
真子の指はゆったりとひよ里の頬を撫でそれから首筋を余韻を持たせるように撫で上げる。
身体の奥が甘ったるく疼く。
いつもよりも、神経が研ぎ澄まされているのか、少しの刺激でも、ひよ里の身体を火照らせるには十分だった。
「真子、いや・・・や」
やっとの思いで言葉にする。
何が?と言いながら真子の指がタンクトップの上からひよ里の脇腹を撫でる。
「―――――っん・・・」
その刺激にびくっと反応し、そんな自分に羞恥する。
「エッエロイねん!この指が!!」
そんな気分をなんとか掻き消そうと、大声を張るも、上擦ってしまう。
「感じるんやろ?いつもより」
「そんなわけあるかっ―――――――っ」
恥ずかしい事をさらりと口にした真子に精いっぱい言い返そうとした瞬間に左耳にふうっと生温かい息を吹きかけられ、ゾクゾクとした刺激が全身を駆け抜ける。
「自分自身で煽るようなことしててんやから、感じてまうのもしゃーないわなぁ」
楽しげにそういうと、先ほどまで自由にひよ里の身体を撫でていた指を離し、ほんの少し身体を彼女の方に傾けた。
「ま、ええわ」
ひよ里の顔を覗き込む真子。
「今日は、妙に素直でー、小悪魔チックでー、可愛らしい猿柿さんに免じてー」
間延びしたふざけた言い方に、イラッとする。
こういう言い方をする時は、底意地の悪い事を真子が考えているのを知っているからだ。
「選ばしたるわ」
ほらきた。
「何をや?」
睨みつけながら聞く。
「この後のこと」
「この後?」
「せや」
そう言って、またしても意地の悪い笑顔を浮かべた。
ろくな事を言わないだろうというのはすぐに分かった。
「ほな、1番。『いややー』ってひよ里は嫌がるんやけど、俺に襲われる」
はぁ?っと顔を思わず歪めるひよ里。
「2番。『欲しい』ってひよ里が俺の事欲しがって、やっぱり俺に襲われる」
「おっ、お前は、アホか!」
「しゃーないやろが。しいて言えば、お前が悪い」
「なんでやねん」
「ついさっきまで、自分がしてた事、思い出しぃ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
そう言われると、何も言えなくなる。
「最後、3番。このままひよ里は自分の部屋に戻る。今日はもう、さいなら」
「なっ・・・!」
予想外の発言に思わず動揺して声を出してしまう。
どれがええ?とにっこり笑う真子。
ずるい。
ひよ里はそう思った。
この男は毎回そうだ。
いつも、いつも、余裕で、大人で。
いつだって心を乱されるのは自分で。歯がゆい。
今日こそは、自分が優位に立ったと思ったのに、すぐに立場は逆転され、またしてもこの意地悪な男に翻弄されている。
「最初から・・・」
「?」
「最初から動揺してるフリ・・・しててんか?」
顔を赤くしてムスッとした表情で真子に尋ねた。
そんな可愛らしい顔をする彼女に頬を緩ませる。
最初は本当に驚いたのだと告げられた。
「そら、そやろ?」
好いた子に、いつもだったら絶対言わない事言われて、されない事されて。
「さすがの俺も戸惑うっちゅーねん」
思春期の男子かっちゅーくらいドギマギしましたと、恥ずかしそうに笑った。
その真子のはにかんだ笑顔にキュンとする。
「まぁ、でも、2回目のあのちゅーの時に、冷静にはなれたで?」
次は意地悪く笑う。
「自分、気いついてないんやろけど、アレ、いっつも俺にされてる事、そのまましてたやろ?」
そう言われて一気に顔が上気した。恥ずかしすぎる。
「かまへん、かまへん。意地らしゅうて可愛かったし」
ヘラヘラ笑う真子に上手く言い返す言葉が見つからず、かわりにギリリと鼻をつまんでやった。
「ひよ里、あかん。そない力入れたら鼻がもげてまう」
鼻声でやめてくれと懇願されて、力いっぱい引っ張ってからぱっと放してやった。
いたたと鼻を擦りながら、何故かバツの悪そうな顔をしてひよ里を見下ろす真子。
「意地悪る言うてまうのは、しょーがないやろー」
不貞腐れたように、真子は言う。
何がやと、睨むと
「やって、初めてやったやんか」
「何が」
「好きやって自分から言うてくれたん・・・、初めてやん」
思わずきょとんとする。
「せ・・・やった?」
「せや、初めてや」
「言うたこと、あるやろ?」
「俺が言えゆーて、無理やり言わしたんは、ある。何度か」
自信ありげに答える真子に、少しあきれるひよ里。
「無理に言わすな」
「そうでもせーへんと、言わんやないか」
「そないポンポン言う事でもないやろが」
「俺、淋しがり屋さんやから、ポンポン言うてほしい・・・」
乙女っぽく言ってのける真子のおでこをばしっと平手でたたく。
「・・・・・・、ハゲた事抜かすな、ズラ」
「ズラやないわ。ちゅーかハゲた事ってなんやねん」
このままでは不毛なやり取りが続きそうだなと、お互い呆れた目をして見つめ合う。
しばらくそのまま見つめ合うと、不意に目を逸らせたのは真子だった。
「好き、言われて嬉しかった」
やっぱり不貞腐れたような顔をして言う。
ドキンとした。
「めっちゃ、嬉しかった」
「な、何度も言わんでもええ」
こっちが恥ずかしいじゃないか!
「なんぼでも言うたる。俺は―」
うわぁぁぁぁぁぁ!!!
急に大声で言い出す真子の口をモガモガっと無理やり両手で押さえる。
「アホか!そないでかい声で恥ずかしい事言うんやったら、もう二度と言わへんど!!」
焦ってまくしたてる。
「ほな、また・・・、たまにでもエエよ。好きやって言うてくれる?」
口を押さえていたひよ里の手をいとも簡単に取り、まるで子犬のような顔をして聞いてくるもんだから。
やっぱりずるい、と思いつつ、こくっと首を縦に振った。
嬉しそうにニヘラと笑った真子は、愛おしそうにひよ里を見つめて
「好きや」とぽつりと言って、もう一度ベッドにつっぷした。
ひとりでジタバタと脚をバタつかせたと思ったら急に動きを止めて
「俺、余裕なさすぎるわ」とぼやいた。
その真子のおかしな様子を興味深げに見ていたひよ里は
「お前がこないに変な行動とってんの初めて見た」
心の底から感心したげにつぶやいた。
「そーか?」
ベッドに顔を擦りつけたまま聞き返す。
「そーや。お前、いっつもいっつも、余裕綽々やないか」
むくりとベッドから顔を起こし、ひよ里の方をみる。
「俺、別に余裕綽々やあらへんで?」
真子は少し心外そうに言う。
「うそや!いっつも底意地の悪い顔しとるやないか!」
「・・・、そこはほれ。悟られんように・・、やな・・・ちゅーか、こないなこと、言わすな」
はぁ、と大きくため息をつく。
急に真剣さを増した顔をし、
「ここ、触ってみ?」
とんとんと、人差し指で、自らの胸の真ん中のあたりを指し示す。
「なんで・・・」
「ええから、触れば分る」
ぐいっと乱暴にひよ里の手を持って、その勢いのまま彼女の掌を自身の胸にあてた。
ちょうど、早鐘を打つ心臓のあたり。
「――――――――――早っ」
掌から伝わる鼓動にびっくりして、思わず真子の瞳をみた。
「俺、いっつもこんな感じなんやけど・・・」
ふん、と鼻をならしながら。
「いっつも余裕なんてあらへんよ?まぁ、冷静でいるようにはしてんけど」
恥ずかしそうにそれだけ言うと、ひよ里の手を放し、また顔をベッドに沈めた。
自分ばかりが余裕がないと思っていたのに。
真子も、一緒だったと気づき、甘酸っぱい気持ちが胸一杯に広がった。
「2番」
不意に口を衝いて出たのは、先ほどの問いの答え。
あんな風に言われて、嫌とも言えないし、帰りたいとも思えないのはあたりまえじゃないか。
・・・・・・。
いや、違う。
真子が欲しいと本気で思ったんだ。
ひよ里の言葉に、顔をあげて、少し驚いた顔をした真子。
それもすぐに緩み、くしゃくしゃになり、なんだか泣きだしそうな、嬉しそうな、そんな顔をするもんだから、きゅぅぅんと胸が締め付けられた。
愛しいな、と思った。
だけれど、そんなのは悟られたくないから、
「ほんでも、襲われるンは嫌やからな」
プイっとそっぽを向きながらぶっきら棒に言った。
そんな素直じゃないひよ里の様子に目を細め
「わかっとる」
真子は優しく耳元で囁いて、
頬に優しいキスをした。
――――――――――ああ、今日のウチは本当にどうかしてる。
そう頭の片隅で思うも、快楽の波に身を任せれば、その思考もすぐに溶けていく。
わずかに残った理性を使い、窓の外を見れば、日はとっくに暮れ、夜空には星が瞬いていた。