よわむしうさぎ うちが目を覚まして最初に目に映ったのは木目の美しい天井だった。見覚えのあるそれに古い記憶を探っていくと四番隊舎の救護室の天井だったことを思い出した。 (信じられん。まさかうちが尸魂界に居るなんて) 死にかけた自分が、どうしてこんな所に居るのかわけが分からなくて呆然としていると、お気づきになられましたか? 猿柿さん。昔と変わらず柔らかく微笑む卯ノ花サンと、その横で控えめに愛想笑いをする副官章をつけた知らない女死神を見てうちは本当に尸魂界に居るのだと実感した。何を言えばいいか迷っていると、二人はうちの身体状態からこれまでのことをいろいろと説明してくれた。 身体を市丸に真っ二つに切られたうちは卯ノ花サンに助けられたこと。霊力に溢れた尸魂界で治療に専念した方が良いと判断され、先の戦いで傷ついた真子や他のみんなもこっちに居ること。ずいぶん長いこと眠ってしまっていたことも、一護が藍染を倒し、投獄され、うちの身体を切った市丸は藍染を討ち損ねて死んでしまったこともすべて教えてくれた。 腹が立つのか、哀しいのか、悔しいのか、嬉しいのか。 戦いが終わったと聞いても、正直、複雑だった。 卯ノ花サンがうちの身体の状態を診た後、ようやくみんなとの面会が許された。 初めにやって来た白は声を出して泣いて、リサは何も言わずに抱きしめてくれた。ローズとハッチは心配したよと頭を撫でてくれて、拳西とラブは馬鹿野郎と怒鳴って、それから安心したように笑った。代わる代わる見舞いに来ては、そうやってうちの目が覚めたことを喜んでくれる仲間を見ると、どれだけ心配をかけていたのかわかる。嬉しいと思う反面、申し訳ないなとも思った。 いちばん最後に真子が来た。 顔も見せずに、良かった、とだけ苦しそうに呟いた時は、普段のあいつからは考えられないほどで。あまりに痛々しくて苦しかった。 目の端っこに映る自分の半身が飛んで行くさまを他人事のように見ていたあの時。遅れてきた焼けるような体の痛みに、もう、アカンやろなと本気で思った。 『一撃で決められたら、終いやぞ』 あれだけ一護に偉そうに言っていた自分が、己の身体を持ってそれを体現したのだ。藍染に一太刀もいれることが出来ず、その上、真子にあんな顔をさせてしまった。泣くんじゃないかと思うほど、うちの名前を呼んでいたことを思い出すと胸の奥がチリチリ痛む。 ごめんねは、飲み込んだ。言えばきっと、真子にまたあんな顔をさせてしまうのがわかったから。 長かったな。 うん。そうやな。 結局、真子とその時交わした会話といえばそれだけだった。でもうちらにはそれだけで十分だった。 やっと、実感することが出来る。 本当に終わったんだ。うちらの100年が、やっと、終わった。 そう思うと、これまで我慢してた100年分の涙が零れた。 肉体構造自体は完治していたうちは、ずっと眠っていたせいで体力が落ちていたのか動きまわれるようになるまで数日かかった。初めは体のあちこちが痛くて起き上がるので精一杯だったけれど、それでも現世に居るよりは、はるかに体力の回復も早かったと思う。たぶん、霊気に満ち満ちている尸魂界だからこそなのだろう。その辺は尸魂界(ここ)に連れてきてもらえたことはありがたいことだった。 身体が動くようになってからは、尸魂界を少し歩いて回った。隊舎とか、空気とか、尸魂界そのものの雰囲気は何一つ変わらないのに、時の流れは容赦ない。よく知らない奴が隊長、副隊長に就いていて。隊士たちも知らない奴ばかり。ローズはそんな人ばかりじゃないよと笑っていたけれど、腫れ物にでも触るように接する奴や、遠巻きにうちらを見てくる奴のほうが多かった。無理もないかもしれない。虚化をするうちらは、純粋な死神なんかじゃない。疎まれて当然だ。 否、別に疎まれていたってかまわない。藍染なんかを信じていた死神たちをうちは未だに許せない。100年間の苦しみだとか、憎しみは簡単に消えない。 ここはうちのいる場所じゃないと思った。 動けるようになればここには用は無い。みんなだってそうだと思っていたのに、違った。 「ごめんね、ひよ里」 すまなさそうにしながらローズも、拳西も、隊長に戻ると言った。拳西が隊長ならあたしもと、あたしも残ると白が騒ぎ、リサはリサで死神相手に商売すると言った。 「なんで……、なんでなん?」 みんな申し訳なさそうにするだけで何も答えない。 どうしてそんなふうに出来るんや。 どうしてそんなふうに考えられるんや。 信じられない気持ちでいっぱいで、何度もそう思った。そして真子まで。 「オレも隊長に戻るわ」 当たり前のように簡単に言った。 頭で何かを考える前に真子の側頭部に回し蹴りを決めていた。その辺にあるもの全部に当たり散らしてやりたい衝動を何とか抑えて救護室を飛び出した。 裏切られた。置いて行かれた。そんな考えばかりが頭を巡った。彼だけは。真子だけは、違うと思っていたのに。 現世には、一人で戻った。 顔を合わせれば、みんなを傷つけるようなことしか言えない気がして、会うことはしなかった。薄情なやつだと思われたかもしれないが、それならそれで構わないと思った。その方が、気が楽だ。 夕飯は弁当。コンビニ袋を提げて、倉庫の中に入って行く。仲間といつも一緒に居たほとんど廃墟みたいなそこは、ガランとしていて、暗くて静かだった。 短い間だったけれど、この場所には思い出がたくさん詰まっている。現世のあちこちにもそんな思い出がある。つらいことも、嬉しいことも楽しいことも、腹の立つことも、8人みんなで共有して肩を寄せて暮らしていたあの頃が、ただ、懐かしい。 ずっとあのままでいることを望んでいたわけじゃない。全部片が付いたら、自分の道を歩きはじめるだろうことは、薄々わかっていた。その方がよほど健全だということも。 だけど、うちはそんなふうにできない。 頭では分かっているのについていかない。 現世で肩身の狭い思いをしながら、数年ごとに住む場所を変えて、隠れるようにして暮らしていた100年間。本当なら身につけたくなんかなかった虚化まで身につけて。何でもないよって顔して、でもみんなしんどい思いをしてたのに。 簡単じゃないことくらいわかってる。みんな自分で考えて結論を出したんだ。うちだけが拘って、その場を動こうとしていないだけ。立ち止まったままなだけ。死神のことはどうしても大嫌いで。藍染なんかを信じた死神たちのことは許せなくて。 100年前、うちの大切な場所を取り上げた『死神』は、またうちから大事な人を、仲間を取り上げようとする。 「真子なんか、大嫌いや」 コンビニで買ってきた晩御飯の弁当のビニールをビリビリ引きちぎる。 「リサも、白も。みんな大っ嫌いや」 レンジで温めることもせずに、冷たいままむさぼりついた。食べても食べても味なんかわからない。上手く喉に通って行かない。食べ物を無理やり水で流し込んで、また咀嚼して水で流し込んで、機械みたいにどんどんご飯をかき込んでいった。 「何一人で食ってんだ? オレのはねぇのか」 「ひよ里サン、食後にプリンはどうデスか? いいもの買ってきまシタヨ」 弁当をほとんど食べ終わったころ、聞き覚えのある声がして、驚いて振り返ると、呆れ顔のラブと、プリンと猫缶をどっさりもったハッチが後ろに立って笑っていた。 キツネにつままれたような面持ちで、二人を見た。ラブもハッチも他のみんなと一緒に尸魂界に残ると思っていたのに、どうして現世に居るのだろう。 訳がわからないと二人を凝視していると、「ジャンプが売ってない尸魂界には用がねぇよ」 と、察しのいいラブが息を短く吐きながら言った。 「ネコたちが心配で戻ってきマシタ。それにひよ里サンではあの結界張れないでしょ?」ハッチは得意そうに言う。 「アンタら、アホやろ」 そんな理由で現世になんか戻ってきて。絶対アホや。こいつら。 込み上げてくるモノを必死に我慢していると、それはお前だろと、ラブにおでこを叩かれた。 「せめて一言くらい声をかけてから帰ってやれよ。真子が心配してたぞ。」 「知らんわ、あんなハゲなんぞ!」 反射的に言葉を吐き出した。ラブは眉間にしわを寄せ、ハッチは黙ったまま見守るようにうちを見ていた。 「現世に居ればよかったって後悔すればええんや!」 後悔したってもう知らない。もう、仲間でもなんでもない。終わったのだ。長かった100年が終わったと感じた時から、壊れてしまったんだ。何もかも。 「真子は、別にお前を裏切ったわけじゃねェよ。ローズたちだって……」 「そんなこと、」 わかってる。わかっている、けど。 癇癪を起して弁当の容器をコンクリートの地面に叩きつけた。少しだけ残っていた中身が散らばって地面が汚れた。うちの今の胸の中みたいだと思った。ハッチの気遣う声が遠くで聞こえる。 誰か教えてよ。 憎恨みを晴らすためだけにずっと走ってきたうちは、これからうちは、何に頼って進んでいけばいいの? みんなが居るから。真子が居るから頑張ってこれたのに。 もう、うちの隣にあいつは居ないよ。 一話完結型シリーズ よわむしうさぎはのちの話に続きます。2012.09.17 |