人差し指をネクタイの結び目に差し込んで緩めながら、平子真子はベッドに寝させられ恥ずかしそうに頬を桜色に染める女の子を見下ろしていた。その女の子は猿柿ひよ里。大きなつり目がちの瞳を潤ませながら、覆いかぶさろうとする男を睨んでいた。

普段みせる子猿さんのような元気の良さはどこにいったのか、猿柿はしおらしく、可愛いかった。愛おしさが平子の胸の奥からこみ上げる。

 平子と猿柿は、恋人同士になってかなりになる。初めてのキス。初めてのいちゃいちゃは、一応経験してきたものの、最後の一線を未だに越えられないでいた。理由は簡単である。付き合いだした当時の彼女はまだ少し幼く大切にしたかったのと、彼らと一緒に住んでいる仮面の軍勢という仲間が居る為だった。いざいたそうとすると漫画のように狙っているとしか言えないタイミングで彼らが邪魔に入る。だからといって『はじめて』の彼女とラブホでいたすのも平子の流儀に反していた。もちろん野外なんて論外だ(経験を積めばありだとは思っている)。うぶな彼女に平子は出来るだけたっぷり丁寧に愛情を注いで愛してあげたいという願望があるので、なんだかんだと一線を越すタイミングを逃していたのだった。

猿柿の方はそんなことを平子が考えているのは知らない為、そっけないふりをしつつも実はかなり焦れた思いをしていた。一時は、自分のことを「好きや、愛してる、ひよ里」なんて言いながら、本当は好きでは無いのではないかと誤解し、仲間を巻き込んでかなり激しい喧嘩をしたこともあった(住処にしている廃墟の倉庫を破壊しかけた)。そんなバイオレンスな二人を見るに見かねた仲間が、「商店街の福引でこんなの当たったんだけど行ってくるー?」と、とある海辺にあるロマンチックなホテルのディナー付ペア宿泊券をプレゼントしてくれて、今に至るのだ。

柔らかい夕焼け色のルームライトに照らされた猿柿は扇情的だった。いつも頭の高い位置で括られているはずの金と銀色の間の色をした髪の毛は、半乾きの状態で白いシーツの上でしなやかに広がっている。ホテルの備え付けのバスローブは大きかったらしく、彼女は自前の白色の胸元で切り替えのあるワンピース型のルームウェアを着ていた。そのワンピースは裾が大胆に捲れ上がってしまっていて、露わになった肉付きの薄い太腿が、平子の目に映った。早くそこに触れたくて仕方が無かったが、『はじめて』の猿柿のことを思うと怖がらせそうな気がして自重する。沸騰しかけている唾液を飲み込んで、猿柿の小さな唇を貪ると、途切れ途切れに彼女の吐息が漏れた。恋人同士になってから幾度となく繰り返してきたキスだが、今日ほど興奮した日は無いかもしれない。

「ひよ里、痛かったり、怖かったりしたらいいや」

「ええって、そんな、気ィつかわんでも」

「アホ言え、お前は初めてなんやから、黙ってオレに誘われとき」

「……、お前は、初めてやないんやな」

 猿柿は不服なのかそばかすの散ったほっぺたをぷくっと膨らませる。

ああ、ヤキモチや! と思うと平子はいろんな所を走りまわって大好きを叫びたくなる。さすがにそれをすると猿柿がドン引きすることはわかっているので、そこはなんとか堪えた。

「そんな怒らんで、ひよ里。可愛い顔が台無しや」

 ――うそです。めちゃめちゃ可愛いです。

 小さな顔を両手で挟んで啄ばむようにキスする。それにすっかりほだされてしまったのか、眉を寄せていてもくちもとは緩んでいた。ばんざいをさせてワンピースを脱がす。

「なんやのこのエロい下着は」

 こんな時ぐらいしか彼女のこんなあられもない姿をしっかりと見る機会はないだろう。下着姿になった猿柿をしげしげと眺めた。薄ピンクのレースがついたブラジャー、それとお揃いの、紐パンツという出で立ちだった。

紐パンって、紐パンって! あなたの手で脱がしてくださいって言っているようなもので、なにか色々ほとばしりそうになる。

「あんま、みんな。エロいねん」

 恥ずかしいのか身体を腕で隠すようにしているのだが、逆効果だ。鼻の奥がつんとした。

「こんな下着つけてくるからあかんのや」

「せやかて、リサと白がこれをつけぇいうて」

「他の男が一緒におる時にこんな頼りない下着つけたらあかんで。オレと一緒に居てるときだけな」

「もう、絶対履かん」

 いや、そこは履こう。オレと一緒の時はどうぞ履いたって。待ってるし。全裸で。

 そんなことを思いながら、平子はことを着々と進めていく。ホックをはずし、ブラの上からやわやわと揉んでいた膨らみに直接触る。平子の手にこじんまりと収まる乳房を弧を描くように撫でた。色素の薄い桜色をした先端を口に含んで飴玉を舐めるように舌先で転がしていく。猿柿はピクピクと小さな身体を跳ねさせて、懸命に声を堪えていた。それでも時々「ん、……、」「はぁっ」と切なげに漏れる声。どうしようもなく平子の欲望を煽り、下半身は熱を溜めていくのだった。

 そう、確かに、熱は溜まっていたはずだった。あの瞬間までは、確実に。

 猿柿の性器を舌と指でトロトロにした後、いざ、自分のものをその場所へあてがおうとしたときだった。

「……へ?」

 予想外のことが起き、平子は気の抜けきった声を上げた。

 なんで? なんでや? ちょっと、ええ? マジでか?!

 ギュッと固く目をつぶっていた猿柿も覆いかぶさっているはずの男がオロオロと声を上げはじめたので、心配になって薄目をあけて様子を確認する。

うち何か失敗したか? もしかして、うちのあそこ、なんかやばいんか? 

一緒になって焦りそうになったが、どうもよく見ると猿柿が原因ではないような感じだった。平子は彼女の横にちょこんと正座で座り、両膝の上で握った拳を震わせていた(裸で)。頭を垂れているので、金色おかっぱの頭頂部が良く見える。とりあえず、髪が薄くなってないな、と冷静に観察していると、「すんません」と平子のか細い声が聞こえた。

「どういう意味や?」

 さっぱり意味がわからず猿柿はきょとんとなった。この世の終わりというような顔をした平子をマジマジみると、ほんのちょっぴり眦に涙を浮かべた平子が言うのだった。

「し、萎んでしもた」

え? 何が?

……、その、ナニが。






 LOVE×2しようよ! 1





 萎えてしまったナニに相当ショックを受けたが、そこはしつこい男・平子真子、あれから何度か勇猛果敢にチャレンジした。そう、頑張ったのだ、彼なりに。涙ぐましいまでに努力をした。それなのに彼の息子は途中までは勢いもあり元気になるものの、いざ勝負! という時には使い物にならなくなる。

ここでヘタレてどないすんねん、オレ自身! と喝を入れるも、ぷるぷると震える小動物と化したカレには効きめが無かった。

挙句の果て、

「ごめん、真子。うち、眠たくなったし、朝のモーニングバイキングも食べたいし、また今度にせぇへん?」

若干憐みを含んだ目で猿柿に見られ、せっかく仲間にセッティングまでしてもらった『はじめて』の夜は、結局何事もなく幕を閉じたのだった。

平子真子、一生の不覚である。


「ひよ里、すまん」

「いや、そんな謝らんでええって」

「せやかて女の子に大恥かかせてしもうたようなもんや!」

オレ、ジェントルメンやのに! わっと嘆く平子の隣に、そんなん初めて聞いたわと少々呆れたような顔で猿柿は隣に居た。ホテルをチェックアウトした二人は仲間が待つ空座町にある廃墟の倉庫へと戻る為、駅へと歩く。

空を飛んで帰った方が早いのだがそれをしないのは、二人とも残り少ないデートの時間を楽しむ為である。仲間が居るとついつい意地を張り合って喧嘩が絶えないが、二人きりのときは結構ラブラブなのだ。

「情けないな、泣きなや。ほれ、鼻かんで、チーンってすんねんで、チーン」

「ありがとう。おおきに、ひよ里は優しい子やな」

猿柿からティッシュを受け取ると、平子は思いっきり鼻をかみ、それをまた猿柿にもどす。ばっちいわっ! と思いっきり引っ叩かれた。踏んだり蹴ったりって、こういうことを言うんやな。果てしなく続く蒼い空を見上げて平子はそんなことを思った。

嗚呼、目頭が熱い。


そんなこんなで仲間の元へ帰ってきた猿柿はさっそく自室に行くといつものジャージへと着替えていた。

やっぱりジャージが一番や、ジャージが。

独りぶつくさ言いながら、今回のデート用に無理やり買わされた、薄いピンクの生地に花柄プリントされてあるロンパースを手早く脱ぎ棄てると、箪笥から丁寧に畳まれたシャツを一枚取り出して腕を通しながら昨日のことを考えた。

夜はなんだかんだあったけれど、それなりに楽しい一日だった。思いだすとニヤニヤとする。映画を観て(ポップコーンをキャラメル味にするかどうかで揉めたけど)、ゲームセンターに行って(UFOキャッチャーのぬいぐるみをひとつ取るのに真子が4000円使ったけど)、海の見えるホテルで一緒においしいディナーを食べて(カクテル飲もうとしたら真子があかんの一点張りで飲ませてくれなかったけど)、恋人同士っぽいことをしたな、うちら。そんなことを考えているとなんだか胸の中がポカポカあったかいモノであふれた。

またあんなふうに一緒にデートっちゅーの、できたらええな。

 独り言ち、ジャージのズボンに片足を突っ込んだところで、勢いよく部屋の扉が勝手に開いた。

「どやった? ひよ里?」

「あー、ひよりん、紐パンはー? ひよこちゃんパンツとかお子様だっていったじゃんー」

 ガヤガヤと騒がしく乱入してきたのは、セーラー服のコスプレ(本人いわく正装らしい)をしている矢胴丸リサと、身体のラインがハッキリと出るライダースーツに身を包んだ(プロポーションに相当な自信が無いと着ることが困難)久南白だった。

「お前ら、人の部屋に入る時はノックせぇ言うて、いつも言うてるやろ!!」

キャイキャイ騒ぐ彼女達に顔を真っ赤にし、抗議しながら、手早くジャージのズボンを履く。しかし彼女達に猿柿の抗議の声は届くことは無い。

ねぇ、ひよりん、紐パンは? 久南が猿柿のズボンをペロンとめくってひよこがバックプリントされた下着に不服そうに口を尖らせる。

あほ、野暮なこと訊きなや。汚れたに決まってるやないの。久南に倣って同じようにめくりながら呆れたように矢胴丸が言えば、イヤン☆ 久南の黄色い声があがる。あほか!

「ヒトのパンツ見ながらくだらんこと訊きなや」

うんざりしながら、下着をのぞき見る彼女たちを振り払い一歩後退した。

「で、どうだった? 初夜は!」

「ほらほらー、言うてみ? ひよ里。シンジとの初エッチの感想。ペア宿泊券代やで」

 それは商店街の福引で当てたんちゃうんか。

ニマニマ笑みを浮かべながらにじり寄る久南と矢胴丸。あっという間に二人に部屋の隅に追い詰められ、猿柿は逃げ場を失う。喋るまで解放してもらえない雰囲気だった。猿柿もこれが男たちなら打ちのめしてその場から逃げるのだが、女の子には手を上げられない。2対1のこの状況下、しかも1人は15時間虚化した状態で戦えるという天才肌だ。戦闘になれば完全に猿柿の方に分が悪い。

「面白がらへん?」

「心配ご無用だってー、ひよりん」

 結局、猿柿は思いっきり胡散臭いと思いつつも、昨日あったことをポツリポツリ話し始めた。


「なるほど、それは勃起不全やね」

 そしてそれは心因性の勃起不全やねと矢胴丸は付け加えて、眼鏡の真ん中らへんを人差し指でくいと持ち上げる。やけに得意げな様子で、眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。それを見た久南は眉をひそめる。

「リサリン、勃起とか言うのやめなよ。女の子でしょ? せめてEDだよ」

「なに? 勃起不全? とか、ED? とか」

「ひよりんは、いいんだよ、知らなくて。あと、シンジにEDとか言っちゃだめだよぉ。自信を根こそぎ奪っちゃうからね。わかった?」

 久南の迫力に気圧された猿柿は、はぁ、と相槌を打った。世の中にはうちの知らない言葉がまだ沢山あるのだな。改めて思いつつ、気持ちの問題で男の人というのはいたせなくなるのか、案外デリケートなものであることを再確認していた。あんなに図太そうなのに、いろいろと。

 そうやって猿柿が悶々と考えていると、悟りを開いたような菩薩顔の矢胴丸が彼女の丸い肩に手をポンと優しく置いた。ちょっと、いやかなり気持ちが悪かった。

「大丈夫やで、ひよ里。たぶんその勃起不全かて一時的や。すぐに勃起するようになるわ」

 うちがなんとかしたるからな。慈悲深い声で何度となく「勃起」というワードを口にしながら(たぶん、勃起と言いたいだけ)背中にキラキラを背負った矢胴丸は、とてもいい笑顔で猿柿の部屋から出ていった。

 扉の閉まる軽い音がする。

「勃起不全ってそないにリサに燃料与えるワードやったん?」

「だったみたい」

 猿柿と久南は、矢胴丸が出ていった扉の方をしばらく眺めていた。

 

なんていうか、嫌な予感しかしない。








なんていうか、もうちょっとエッチくなる予定。。。だよ!2012.03.29